海遊び9

 総士が目の前で、一騎が作った食事を口に運び、咀嚼する。

噛んで飲み込む。それだけの動作だったけれど、酷く優しかった。

焼いた鮭を箸先で綺麗に裂いて取り、口に運ぶ。それだけの動作の筈なのに総士があまりにも綺麗に

思えて、その綺麗な総士に夢中になってしまって、目が離せなかった。

どうしてこんな、食べてるだけなのに目を惹くことができるんだろう・・・・・・。

食べている・・・というか、そこにいるだけであまりの綺麗さに、それが総士だとわかる。

「僕の顔に、何かついているのか?」

声がかかるまで眺め続けていた。自分の分の食事には、口をつけもしないで。

「あ、いや・・・・・・ずいぶん綺麗に食べてくれるんだなって・・・嬉しくて」

「・・・・・・食べる姿も普通じゃないのかと思った」

「え?」

「いや、なんでも・・・・・・」

 呟きを訊ね返すと何も言っていないと言われた。

詮索して、総士に嫌がられたくはないと思う。優しく話題を変えた。

「食べ終わったら、また寝るか?」

自然に目覚める前に無理矢理声をかけたのだから、まだ眠いんじゃないだろうか。

 箸を口にやったまま総士が止まって顔を上げた。

冷蔵庫の音が一際良く聞こえて、ちょっとの間が空いた。

そのあいだずっと、瞬きもせずに見詰め合う。互いに止まる一瞬前に笑顔が間に合った。

「いや。大丈夫だ」

そう聞かれたのが余程予定外だったのか、呟きに驚きが混ざったような声を返される。それが、心ここにあらず

の声に変わる。

「アルヴィスに戻らないと」

一際大きく、総士が笑った。

はじめて無視して、自分の鮭を醤油もかけずに大きく千切って口に放り込む。噛みながら言った。

「朝、父さんから電話があったんだ。明日の朝のシフトまでこの家に謹慎だって。無責任なことしたから」

止まったまま見つめてきた総士を置いて、ご飯をかきこむ。

さっきと逆に、なった。

「・・・・・・そう」

もっとご飯をかきこむ。

何故そんなに、がっかりしたような声を出すのかわからない。

それ以上何も言いたくなかった。

あと、何を言ってやればいいのかわからなかった。



*****     *****     *****     *****     *****



 冷たい水が、かえって嬉しい。水浴びをするような気分で皿を洗う。丁寧に拭って棚にしまう。

ふと、総士の気配が居間にないことに気がついた。

何時の間にいなくなったのか・・・・・・。

 瞬間居間を駆け抜けて玄関に飛び出る。サンダルは、ちゃんとあった。

階段を駆け下りる。土間に靴はちゃんとあった。

総士が帰るときのために、わざわざ奥から引っ張り出してきた去年まで履いていた穴の空いた古い靴。

「総士?」

駆け上がる。トイレかもしれない。でもその前に、二階の窓から身を乗り出して庭を覗いた。

総士がいた。

「総士!」

上から声をかける。

下で総士は敷地内ギリギリのところに作った柵に寄りかかって、家と家の隙間から海を見ていた。

何をするでもなく、ただ日向の庭でぼーっとしていた。

それが一騎の二階からの声に反応してゆるやかに顔を上げる。

焦って大声を上げた。

「その柵っ何も手入れして無いんだ!壊れる!!」

そのまま隣家に転げ落ちられたら洒落にならない。

叫んだ後、すぐに窓から顔を引っ込め、二階の玄関、それから一階の玄関、外に出られそうな窓全てに

鍵とストッパーを二重にかけた。

走って庭に出る。

柵の一歩手前に立っていた総士が、こちらを見て微笑んでいた。

 雰囲気に、圧倒される。

「入ってくれ・・・・・・総士」

恐る恐る頼み込んだ。そのまま頑として動かれなかったらどうしようかと思った。

でも総士は、笑ったまま歩いてくる。

ほっとした。

「外・・・・・・気持ちよかったか?」

総士の後ろから入って鍵をかける。やっぱり二重。

「ああ、風が良くて・・・」

何を履いて出たのかと思えば、土間用のサンダルだった。

隠す。

「俺の部屋、窓さえ開けてれば風通るから」

総士の後ろについて階段を上がる。

居間に入ろうとした総士の脇で、自室の襖を空けた。

総士が起きたままの蒲団がそのまま、残っていた。

「こっち・・・・・・」

示す。

総士と目が合う。

少しの間、そのままになる。

頷いて、総士は部屋に入っていった。

見届けて、蒲団の上に座る総士を視界に入れながら、襖を閉めた。

台所に戻る。

起きた後で小腹が空いても大丈夫なように、林檎を剥いた。





昼過ぎに食事、そのせいで二時間も経てば太陽が斜めに。

もう少し待てば夏終わりの風が吹いて買い物に出るのに怯えなくて済む。

一騎は座布団を抱いて、畳の上に。

総士は、シーツの端だけお腹の上にかけて蒲団の上に。

しっかり折り込んでいたはずのシーツは無意識の総士に引っ張られて飛び出して、ぐしゃぐしゃだった。

総士が額に汗を浮かべて眠る。

家に二つしかない扇風機をフル回転させているのに、ほとんど役に立っていない。

ぐったりとして、横になっていた。

総士に合わせて昼寝でもしようとしても暑さで眠れず、無意識のうちに視線の止まった総士の寝顔を永遠に

見続ける・・・・・・そんな無駄な時間だった。

居間から運び込んだ卓袱台の上で、林檎がまっ茶色になる。

結局総士の口には入らないで、仕方なく生温かくなったそれを寝転がったまま楊枝に刺して口に放り込む。

重力に引かれて顔の上に楊枝から抜けた林檎が落ちた。

拾って、口に入れる。

総士のために楊枝を挿したけれど、慣れないものは使うもんじゃないと思う。

あまりの暑さに、居間立ち上がったら畳に汗の人型がありそうだった。動いていたほうがまだマシに思えてくる。

 総士を見る。

この暑いのに。頬を汗が伝っているのに。ぐっすり眠りこんでいた。

自分は水を汲みに台所まで立って行くのも億劫で剥いた林檎で喉の渇きを癒しているけれど、総士は大丈夫なの

だろうか。あんなに汗をかいて、汗疹にはならないか。

十数往復足元に転がっていた団扇で扇いでやったけれど、すぐに手首が疲れてやめた。

(・・・もう総士が寝て三時間だけど・・・起こしたほうがいいかな・・・)

近くで、法師蝉がしつこく鳴いていた。

一匹だけのはずなのに、やたらと声が大きい。

総士の額の汗を、タオルで拭った。

目が、合う。

「晩御飯の買い物、行ってくるから・・・・・・総士は水のシャワーでも浴びてて」

無理矢理立ち上がると、軽い貧血。

扇風機が崩壊しそうな音をたてて回っている。

「総士?」

返事が無いので、促した。

見れば、起きたと思った総士は、また目を閉じていて。

引き続き大汗をかきながら眠っている。

卓袱台の上に、濡れタオルとタオル、麦茶を作ってから階下に降りた。



*****     *****     *****     *****     ******



 夕日の差し込む台所で、買い物袋を広げていた。

(生モノははやく冷蔵庫にいれてやらないと・・・・・・)

うっかり固く結びすぎたビニール袋に悪戦苦闘していたら、ありえない影が落ちた。

顔をあげたら目の前に総士が立ってる。それだけわかったけれど、何もしなかった。

「ありがとう一騎。・・・もう行く」

顔は上げなかった。

「晩御飯、食べていけば?」

少し、ぶっきらぼうな声になった。

「いや・・・・・・。ギリギリまで、居させてもらったから」

不機嫌になったことは、隠せなかった。

「それ・・・・・・元気になったのか?」

結び目が、固くて解けない。

「ああ」

総士の返事が落ちる。

はじめて顔を上げた。

「その顔でか?」

突然無音になった。

外で鳴いていた蝉が黙った。

総士と、目が合った。

なにも言われなかった。言おうとして言えなくなる、もどかしさがあった。

「まだいろよ・・・総士」

「無理だ」

すかさず返される。

強めに言い返した。

「あんなところ、行かなくていい」

なのに総士はわかったとも言わないで踵を返す。

「総士!」

せめて何か言っていけ!

 総士が廊下への襖を空ける。

背中に向かって叫んだ。

「休め!」

総士の足が、廊下で止まる。

追い討ちをかけた。

総士をこの家にいさせなければならなかった。

その一番の理由を言う。

「まだ、治ってないだろ?」

立ち上がった。

買い物袋の中身が床に転がる。

構っていられなかった。

手を、握り締めた。

客に命令する。

「ここにいろ」

一日で一番最後に鳴く蝉が鳴いた。

「帰ったら、司令の命令に逆らうことになる」





 総士が振り返る。

総士じゃない。総士の表情だと、思えない。





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