海遊び 10 (最終話)





いつもの総士とは違って、蒼白で自信なく、怯えていて。急に不安になった。あまりの普段との違いに咄嗟に踏み出していた。

「総士?」

隠さない総士に、親しみを覚える。

不安だけれど安堵していた。

自分はコレを受け止めれば良いのだと、思った。

憔悴しきって、化けの皮の剥がれた総士を。

その総士の姿が、どこか自分に似ている気がして酷く満ち足りた気持ちになった。

誰よりも父よりも、身近な存在に感じた。

目の前で疲れて怯えているのは、自分だった。

だから、誰よりも何よりも愛おしかった。

「総士?どうした?」

開けているのも辛そうな目で睨みつけてくる総士に、両手をそっと差し出す。

手を、握ればいい。

(総士が俺だ)

そうしたら、自分が総士にされたいことを、今の総士にしてやることができる。総士として。

生身の総士は何にも守られていないから何よりも傷つきやすい。

だから、総士が守ってやらなければならない。

「・・・司令・・・命令って・・・」

前にも増して、ひきつけでも起こしたように震える総士を、抱きしめるために一歩近づく。

できる限りの優しい顔で、微笑んだ。

ともすれば、わけのわからない方ばかり見る総士と確実に視線を合わせる。

「ああ。命令だ」

総士の手を取り胸元まで引き上げて握り締めた。

一刻もはやく、元気になってくれと願いを込めて。

あての無い願いだった。

叶うことは無かった。

一騎が総士の手を握り締めた瞬間、総士が呟く。

「お前まさか・・・・・・嘘・・・を・・・」

血の気を無くした総士は、途切れ途切れの言葉をそれでもやっと搾り出した後、最後の力がこと切れたのかうずくまってしまった。

 焦る。

「嘘?嘘って何?」

総士がうずくまる程の攻撃など一切していない。

そんなことはしたりしない。

まして総士に嘘など。

「総士?具合悪いのか?総士?」

聞いてばかりだった。

顔を全く上げない総士を抱き起こす。

ぐったりした総士は、上半身だけでやけに重かった。

慌てて熱をはかる。額は熱くない。良かった、あんなに暑い中寝ていたから、熱中症かと持った。

何で具合が悪いのか聞かなければならなかった。

聞いてばかりだと、思った。

ちゃんと、自分で考えなければ・・・・・・。

考える。

総士として、自分が一騎にされて一番恐いことを。

唯一、一騎が一騎のくせに出来ることを。

一騎にソレをされてしまったら、総士としては、手の打ちようが無くなってしまうこと。

目まぐるしく考えて、一つだけ思い当たった。

少しでも総士を安心させたくて、伏せた総士の顔の近くに顔を寄せる。

一騎として、言った。

「違う。嘘じゃない。俺は、総士を休ませたくて父さんの名前を勝手に持ち出すようなことは、絶対にしない。

だから、総士が今日、昨日の事の翌日に、誰にも連絡も取らず、部屋にも戻らなかったなんてことはない。失敗を重ねてなんかいない。

誰も、今日総士が仕事もせずに寝ていたことを責めたりしない。今日は本当に、アルヴィスに戻らなくて良い日なんだ」

ひとつずつ、丁寧に教える。説明する。

最後の気力すら打ち消してしまうようなショックを与えてしまったことを詫びる気持ちで。

「今朝、まだ総士が眠ってた時、俺は父さんに電話したんだ。父さんは、休みは今日の夕方までって言って

全然わかってなかったから、俺は明日の朝までって父さんに頼んだんだ。父さん、わかったってちゃんと

返事くれて・・・・・・大丈夫だから・・・・・・その、驚かせて、ごめん」

最後に、謝った。

ただでさえ敏感になっている総士に、酷いことをした。

「立って、総士・・・蒲団に行こう?」

俯いたまま動かない総士を助け起こす。

擦るように足は動かしてくれるものの、引き摺られる一方で自分からは歩こうとしない総士に肩を貸す。

なけなしの気力を使い果たしたら、こうなるのだろうか。

重さと移動の不自由さを思い知った。

戦闘後、自分も何度か総士に肩を貸されてた。

これぐらい総士に頼り切っていたかもしれなかった。

数歩歩いて、部屋の襖を開けられたことに安堵する。

柔らかい蒲団の上に、総士を落とした。

落ちた総士を追う。

顔を寄せた。

「他に何か・・・ある?」

恐いこと。

「さっき・・・一騎の言った・・・」

「俺?」

「『なおってない』って何だ」

「え・・・」

特に、考えて言った言葉ではない。

そんなことは言えなかった。

そのせいですぐに答えが出せない。

それがきっと、総士の気に障った。

ずっと俯いていた総士が弱弱しく顔を上げる。

息も絶え絶えに、睨みつけてきた。

「なおってない?お前も僕を・・狂ってると?変だっ・・・もう使えな・・・と・・・?」

特に、考えて言った言葉でない筈が無かった。

その通りだった。

ただそれを、今の総士に伝えるわけにはいかないから・・・でも、代わりの言葉も用意できなくて・・・・・・。

「思ってないよ」

背中から、抱きしめる。

あやすように、揺り篭のように、総士と一緒に揺れる。

「思ってないから大丈夫だ」

言いながら、総士は見ない。

もう総士は、見れない。

このまま総士を安心させて、眠らせるべきだと思った。

「大体総士が使えない筈無い。皆、総士を大事だと思ってるし、総士を頼りに思ってる」

そんな態度が、総士に赦して貰えるはずがなかった。

「鍵・・・閉めた・・・」

返事ができない。

息も。

見透かされている。

「家の中・・・全部・・・」

嘘が、つけない。

「どうし・・・て?」

声が切れ切れなのは、総士が泣くのを必死に堪えているからだ。

ちゃんと声に出して発音しないと、伝わらないから。

泣き喚くのを堪えて。

伝えてくる。



『キチガイだと思ったのだろう?』



 一騎が肯定した瞬間に、総士は出て行くだろうと思う。

それこそ一騎が何を言っても、何をしても。

そして二度と、一騎の言うことについて聞き届けはしないだろうと、思う。

願いも、何もかも。

(でもっ)

心臓が割れそうだった。

嘘がつけない。

総士に嘘をついた瞬間に、総士は出て行くと思う。

でも、どちらかをすることを、自分は総士に迫られている。

 何か答えは無いか、家中を探した。

目まぐるしく壁を追い、何かヒントになるものはないか探した。

何も無かった。

あるはずだった。

(見つから無ければ俺は終わりだ)

とっくに終わりだった。

総士はもう駄目だと、一瞬でも思った瞬間に。

信じなかった。

見放した。

唯一であるはずの総士を。

壁を見る。

何も、見つからなかった。

「・・・うっ・・・くぅっ・・・」

総士を抱きしめる。

総士の背中に顔を押し付けて、泣いた。

せめて、一騎は総士を放したく無いのだとわかって欲しい。

後悔が次々と押し寄せてきて止まらない。

泣きながら、謝り続けた。

まるで動かない総士の声が、間に混じる。

「一騎が・・・」

返事ができなかった。

先に泣ききった総士には声にすら力は無かった。

「一騎が謝ることじゃないんだ・・・」

言っている意味がわからない。

もう自分も、総士も、頭がおかしい。

そうに違いない。

「僕が・・・・・・」

 自分が泣いたせいだと思う。

泣いたから、総士が察してくれて、慰めてくれようとしている。

さっきと同じだ。

昨日の夕暮れ、海に行った記憶を全部消して、海に行く直前と繋げて、総士は助かろうとしている。

傷ついてもいないし、悲しいことも無かったし、疲れてもいないから、だから、一人で泣いている可哀想な一騎を、慰めてやろう。

「僕が・・・嫌だ・・・」

 違う。

顔を上げる。

総士の声は、まだ泣きそうだった。

本能で感じ取る。

これは、告白。

絶対に聞き逃してはいけないものだ。

最後の信用だ。

「僕・・が・・・・赤ん坊みたいで、嫌だ。泣いて、こうして蒲団に寝転んで、泣き喚いて・・・

一騎が抱き上げに来てくれるのを・・・待ってる」

続く。

「頑張った・・・筈なんだ・・・我慢も・・・してきたと思っていた・・・でも、赤ん坊の時から、

何一つ僕は成長していなかった・・・こんなっ・・・こんな何もできない筈じゃ無かっ・・・・」

 不思議と、体が震えていた。

感動しているのだと、一騎にはわかった。

赦されていると知って、喜びで体が震えていた。

もう、何を言ってもいい・・・・・・。

「いいんだ」

抑え付けるのではなく、今度こそちゃんと、総士を抱きしめる。

「もっと甘えればいいんだ、総士はっっ」

総士の腹部に回した手に、温かいものが途切れることなく落ちる。

その勢いが増すと共に、総士の震えも大きくなる。

「・・・つかれたっ・・・つかれたぁっっ」

受け止めようと、思う。

総士が、疲れたと言えたことが成長ならば、自分は。

何もしないで、最後までちゃんと聞くことが成長だ。

総士に従うだけじゃなくて、ちゃんと聞いて、考えて、一騎として総士に。

 総士が咳き込む。

笑って背中を擦る。

ぐしゃぐしゃになっていた掛け布団を頭から被って総士を抱きしめ直した。

それすら、できない。

信じていなければ、できない。







END