理解してくれない。
それが、怖かった。
『なんでわかってくれないのか』
それが聞きたくて、眠っている一騎の顔を覗き込んだ。
心臓が脈打つ度に、体中を流れる苛立ち。
海遊び8(総士)
深く、息をつく。
一騎に聞かせないように。
一度に吐ききらないで、細く、長く吐き続ける。
吐ききって体が震えた。
こんなことで、ずっと続く震えが止まるはずなかった。
一騎に背を向けて、黒い壁を睨む。
熱い息を堪えながら、思う。
(僕は・・・・・・)
掛け布団の下に隠した手を握り締めた。
(誰に相談したらいいんだろう)
(たとえばもし僕が辛いといって一騎に泣きついたら、一騎は僕をなんとか
してくれるんだろうか・・・・・・)
ありえない、気がした。
一騎にはできない。
いくら口先で色々言ってくれたとsても、そのあとで地下に戻るようにうながされたら
、それは遠まわしに死ねと言われているようで。
一騎に背を向けているのをいいことに笑みを溢す。
それもすぐに消える。
(一騎は僕のことを考えてくれてちゃんと休ませようとしてくれるんだろうけれど、
でも最後にはやっぱり僕のことを考えてアルヴィスに戻れって言ってくるんだ)
それが嫌だと。戻りたくないのだと、一体誰になら言えるだろう。
(・・・・・・夜、ちゃんと寝たい。頭痛い。体中痛い。やる気が出ない。
何もしたくない。下に行きたくない。辛い疲れた眠い食べたくない胃が痛い
気持ち悪い眠い頭痛い背中痛い・・・・・・)
でも、自分の手で自分の背や頭撫でても、痛いのとれない。
話したいことは山ほどあった。
全部辛くて、聞いて欲しくて。
でも、後ろにいる一騎にはできなかった。
なきたかった。
後ろに一騎がいるからできなかった。
一騎さえそこにいなければ泣けたのに。
いつもみたいに昨日みたいに。
さっき、海の中沖へと歩いた時みたいに。
それができたら少しはすっきりしたかもしれない。
元に戻れたかもしれない。
今こんなに苦しいのは、全部、一騎のせいだ。
急にこぼれた涙をシーツに吸わせようと顔をずらしたら、気持ちいいぐらい冷たかった。
(一騎・・・・・・邪魔だ)
後ろの一騎が邪魔だ。
思う。
帰りたい。
帰ったら泣ける。
途中の道でも、アルヴィスの廊下でも、自分の部屋でも、どこでも。
独りだから。
でも、帰りたくない。
誰かに見せるわけにはいかない。
言えたらいい、と思うけれどそれは希望で。
一騎に言えないなら他の誰かに言うか。
(いえるわけ・・・ない)
皆、精一杯なんだ。自分のことで。
僕だって、自分のことで手一杯だ。
(それに、そもそも彼らの悩みは僕よりずっと切羽詰っていてずっと重くて、
苦しくて仕方なくて怖くて・・・死ぬのが・・・逃げたくてたまらない)
いつも、ちゃんと考えてる。
全部自分のせいであると。
嫌なことがある度に。
自分がどうしようもない屑だから、こうなったのだと。
ちゃんと我慢している。
それが辛い。
我慢するのはもう嫌だと思う。
でも、慰めてくれて優しくしてくれて温かい思いばっかりさせてくれる人、
思い当たらなくて。せめて、どこかに吐き出したくて、でも
一騎をそういうことに使いたくなくて。
(帰ってもいいか・・・一騎)
ここで泣き出すわけにはいかなかった。
せめて、一騎に声が届かない場所でなければ。
(帰りたい)
さっきの涙がかわいたのがわかる。
一騎を伺おうと、寝返った。
一騎の寝顔。
気持ちよさそうな。
少し、睫毛の長い・・・・・・。
こんなふうに眠れたら、どれだけ気持ちがいいかと思う。
しあわせだろうな、と。
そう思ってから、泣き場所に帰るために体を起こした。
止まる。
「湯冷めするから、蒲団戻ろうか」
眠ったはずの一騎に、抱きとめられていた。
(こいつは・・・・・・なにを・・・・・)
イラついた。
(何の・・・・・・つもりだ)
半分起こした体の首に腕を回され、そのまま体重を掛けられて潰される。
されるままに蒲団を掛けられる。
そんなもの、暑くて仕方ないのに。
帰りたい。
そうだ、寝てる時間なんてない。
何を血迷っていたのだろう。
はやく帰らなければ。
行かなければ・・・あんなにたくさんの、作業の続きが。
待ってる・・・・・・。
そう、行かないと、怒られる。
怒られる。
すごく怖い思いをする。
ずっと真剣に、一騎を覗き込んだ。
仕事を始めるチャンスを逃すわけにはいかなかった。
一騎が眠る瞬間を、見つける。
呼吸の間隔はどうか。体の動き・・・寝返りや何かに、不自然なところはあるか。
(・・・顔がかたい・・・)
まだ起きてる。
一騎も芝居をしている。
眠るまで、いつまででも待ってやる。
読みどおり、力が抜ける。
居てもたってもいられず跳ね起きた。
「総士」
心の中で舌打ち。
慎重に。
前よりもずっと慎重に探る。
一騎は眠ったか。まだ起きているか。どっちなのか。
無意識のうちに顔が歪む。
こんなことを本当はしてる場合ではないのだ。
一刻もはやく戻らないと。パソコンの中のメールはたまる一方だ。
はやく。はやく。はやく。はや・・・。
一騎の体が脱力する。
いまだと思う。
そっと、蒲団を抜ける。
自分を殺して。
「総士」
つかまる。
わからない。
一騎がいつ起きるのかわからない。
はやくしないと、朝になってしまう。
朝までには、提出しなけれな間に合わないのに。
一騎が、邪魔だ。
わからない。
こんなに急いでいるのに。
止めてくる一騎の気持ちがわからない。
戻りたくなんてないのに戻らないと不安。
それが苦しくて仕方ないのに、一騎がわかってくれない。
一騎が理解してくれない。
恐い。
一騎を見る。
眠ったか否か、見て取る。
必死なのだ。
見分けられないでたまるか。
見つけて。
やる。
絶対に。
はやく帰らないと、どんどん増えていって終らなくなって気が狂いそうになる。
四度目。
うまくいったと思ったのに。手首を握られた。
大きな目で、睨まれた。
それに関して、弁解する気はなかった。
引っ張られて、抵抗を問われる時間も惜しくて、素直に従う。
(なんで、わかってくれない・・・・・・)
恐い。
嫌がらせなんだろうか。
夕暮れ時の、忙しい一騎の時間を、海に行こうと誘って潰してしまった自分への。
わかるわからないではなくて、最初からそうだったのだろうか。
疲れた。
頭がボーっとする。
こんなことでは、きっと帰ってもまともに作業なんてできないのではないか。
ぼーっとしすぎて、何も感じない。
捕まえたり、抱きとめたりしてくれる一騎の体が、気持ちいいとさえ、思う。
大きな、ため息が出た。
六度目、今度こそ逃げ出せると思ったのに。
小さな悲鳴まで上げて、一騎が腰にしがみついてきた。
震えてるのにも気付かないぐらいだから、きっと悲鳴も無意識だろうと、観察する。
そんなに興奮していたら、次に意識がなくなるまではしばらくかかるだろう。
震えながら一騎が、のしかかってきた。
(そこまで、僕を逃がしたくないのか・・・・・・)
一騎の重さと、海での疲れが同時にクる。
一騎が、あたたかい。
一騎の肌が肌に触れて気持ちがいい。
一騎が、気持ちがいい。
目をつぶったら、一騎のことしか考えられなくなりそうだ。
緊張する。
そんな、そしたら自分は、そんなことになったら、何もできなくなる。
関係なかった。
起きていようがいまいが。
抜け出さなければならなかった。
でなければ、一騎の下で、安心してしまう。
逃げようとしたのに、一騎に抱き抑えられる。
力の強い、一騎に。
一騎が、あたたかかった。
その感覚に、くらくらする。
不思議だった。
まるで、地震みたいな。
「総士の、心臓だ」
突然、感極まった一騎の声が、耳元でした。
「何を言ってるんだ?一騎・・・・」
わけがわからず、聞き返した。
「揺れてる」
聞いたのに、応えて貰えなかった。
一騎の体が震えているのは、一騎も泣きたいことがあるからなのか。
欲しい答えはなにも貰えなかった。
黙れというかのように怒鳴られた。
「わかってる!!」
何を、怒鳴られたのか。
わからない。
ずっと、体の上に一騎。
乗られていた。
「・・・・・・重い」
文句を言うと、一転して一騎は離れていった。
あたたかいものが消えて、急に寂しくなる。
一騎が重くて、体中痺れていて、動く気力が失せた。
失せたら急に、あと少しだけでも、眠りたくなった。
ほんの少しだけ。
好きな人の隣で。
「・・・一騎・・・」
さっきまで跳ね起きた一騎が何の反応もしない。
眠ったのだろうか。
やっと。
だったら・・・言える。
『・・・・・・つかれた』
一騎が手を握ってくれて嬉しかった。
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