海遊び7


遠くの街灯からようやく届いた灯りが防ぐものをつけていない窓から入って部屋を照らす。

こんなことになるのだったら、カーテンぐらいつけておくべきだったと一騎は後悔した。

真っ暗とは決して言わない部屋の中で、総士だけ、動く。

こんなに心配しているのに、総士を置いて先に眠ると思っているのだろうか。

 身を乗り出して総士の首を抱き、抑えた。

目を閉じたまま、言う。

目を開けたら、きっと総士と目が合うだろう。

気の狂った目をしてるだろうから、見たくなかった。

「湯冷めするから、蒲団戻ろうか」

そのまま力をこめて、総士を蒲団に倒す。

掛け布団を引き寄せる。

総士にたっぷり掛けてやったらこちらの足が出た。

総士を抑える。抵抗を感じるうちは手を放さない。そのうちスッと力が抜ける。あわせて、力を抜く。

何往復か、総士の背を撫でた。

そして寝たふり。

虎視眈々と様子を伺っているだろう総士に、こうして眠るのだと、見せて教える。

 よく見ていると思う。

こちらが本当に意識が抜けかけた瞬間を狙って、総士は体を起こす。

もう少し総士に待たれたら、気付けない。

せっかちなのか、その時間すら惜しいのか、総士が馬鹿正直に抜け出そうとするから、気付ける。

でも、四度目。とうとう首を押さえられず、手首を握った。

焦った弾みに今度は目を開けて、腰を浮かせた姿勢のまま視線を落としてくる総士と向かい合う。

何も言わず、ひっぱった。

何も言われなかった。

睨まれもしなかった。

 六度目、捕まえた総士がため息をついた。

慌てきっていて、総士の腹に顔を埋めるように、腰に抱きついていた。

顔を埋めたまま呟く。

「戻ろう」

総士の腰にぶら下がるように体重をかけ、四つん這いの体勢だった総士を潰した。

潰して、総士の体の上にのしかかった。

 穏やかに、抵抗される。

総士は泣かないし、暴れない。

機会を見て逃げ出すだけで、脱出に失敗すると、素直に体を任せてくる。

でも繰り返す。やめない。

泣いてもいい。

暴れてもいい。

でも、やめてほしい。

 のしかかって押し付けた体の下で、総士の心臓が割れそうに鳴っていた。

のしかかった姿勢のまま、額を敷布団に沈める。

海で、あんな死にそうな目にあってくたくただった。

数分後に溺れて死ぬかもしれなかった。

波で叫び声なんて人に届くわけがないから、次の瞬間跡形もなく沈んで消えてもおかしくなかった。

 体の下の体が強張る。

一騎が寝たと思ったのか、抜け出ようとしてきた。

叱るつもりできつく抱いた。

暑かった。

自分の息と総士の息。

昼間はなんでもないはずの秒針が耳障りだった。

このまま枕元に手を伸ばして電池だけでも引き抜こうかと考えた時、

小さな問いかけ。

「・・・・・・地震?」

あるわけない。

泣きそうになった。

「違う。・・・・・・総士の、心臓だ」

それこそ違うと言わんばかりに返される。

「揺れてる」

眠気など、微塵も感じていないと言いたげな。

きっと頭の中は冴えきっている。

そんな。

昼間のような総士の声。

今、夜なのに。

指が白くなるくらい、下敷きにした総士を抱きしめた。

「わかってる!!」

 息を潜めた。

目を閉じていても総士が目を開けているのがわかった。







 顔を起こして、邪魔だった時計を見る。

霞んだ時計が指した時間は三時半。

そろそろ空が、白む。明るくなってしまう。

下から、総士の声がした。

「・・・・・・重い」

むくれた声。

腹がたつどころか、眠さで気持ち悪くなってきて、総士の上からはずれて畳みの上まで転がり出た。

目は開けない。

もう開けられない。

この何時間か横になっていただけでも、少しは休息になったのではないかと思う。

そう思った。

ずっと総士を抱きっ放しで暑苦しいことこの上なかった。

一気に解放されて、人心地つく。

寝転がりたての畳は冷たくて気持ちが良かった、

「・・・一騎・・・」

隣の蒲団から、弱弱しい声がする。

無視して大の字になっていたら、せっかく冷えた手を汗ばんだ手が握ってきた。

振り払う気力もなくて、放置・・・・・・・。

小さな声。



「・・・・・・つかれた」



手を、握り返した。



     *****     *****     *****



 総士の顔に光が当たらないようにしてから部屋を出る。

襖をそっと閉めて、出た。

居間に入って、そのまま電話の前に座る。

「・・・父さん?・・・俺、だけど・・・」

目だけで時計を探す。

見つけた時計に、自分の顔が映った。

「総士、今寝たんだ・・・」

時計は五時、十分前。

「やっと・・・・・・」

向かいの部屋に聞こえないよう、声を父に聞こえるギリギリまで落とした。

この言葉の意味をわかって欲しくて、しばらく待った。

やがて。

《今日の、夜のシフトからでいい》

・・・・・・駄目だ。

足りない。

休みが終ってしまう時間が気になるような休みなんて休みじゃない。

唇を噛んだ後、すぐに切りかえした。

「もう一晩だけっ・・・頼む・・・」

無理だとは思う。そんなには、絶対。

でも一時間でも・・・10分でもいいから。

受話器を握る手の力が増した。

見つめた先の秒針は、酷くゆっくり進んでいった。



《・・・・・・わかった》



 緊張が解けた。

動けないでいたら、向こうが勝手に電話を切った。

音で我にかえる。

『ありがとう』

声に出さず、言った。

 自分の部屋に戻ろうとして、襖の手前で踵をかえす。

今まで父と話していた電話の線を、抜く。

そのまま寝転がって、卓袱台近くの座布団を丸めて抱いて眠った。







 幸せそうな寝顔。

傍らに座って、しばし眺める。

日の光にキラキラ光る亜麻色の髪や、薄く開かれた唇を指先でなぞって、悪戯して―――声をかけた。

「もうすぐ一時なんだけど・・・朝ごはんできてて・・・どうする?」

揺さぶることはしなかった。

総士が気付かなければ、それで良かったから。

でも総士は、ぐっと体を丸めたあと。

「・・・・・・起きる」

這い出してきた。

「隣、用意できてる」

 団子のような亜麻色は見なかったことにして、道をあける。

寝ぼけた総士がよろめいてもぶつからないように。

その総士が、襖の前で立ち止まった。

聞かれる前に言ってやる。

ふと思いついたような、無邪気さを装って。

「父さん、帰ってきてなくてさ、ご飯少し作りすぎなんだ。いくらでもおかわりしていいからな」

硬直した総士の肩が降りる。

居間への襖は先回りした一騎が開けた。

 総士の表情が見たかった。

総士は、寝不足の顔つきで、でも笑顔でおいしそうだと言ってくれた。







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