海遊び6


 総士がシャワーを浴びる音に聞き耳をたてる。

この家の中に総士がいるなんてことは、何年かぶりのことだった。それなのに、お風呂にまで

入るなんて、夢みたいだ。

 総士がお風呂から出てくるのを待つ。出てきたら、たくさん話を聞いてやりたいと思う。

愚痴でも、何でも。総士が思いついたばかりのことでも、全く関係のないことでも、何でも。

総士が、何を思ってこんなことをしたのか、それを知りたかった。

知って、総士の力になりたかった。

出来る限りのことを総士にしてやりたいと思う。

 今日、蒲団を干しておいて良かった。

一番気持ちいい蒲団に、総士に横になってもらえる。

総士はいつもベッドだから、たまの蒲団はどうか、聞いてやりたくなった。

 耳を澄ます。

総士が着替えを終えて、風呂の扉を開けて出てきた。

足音がする。

廊下を歩いてくる。

部屋の前で止まった。

襖を開けた。

「総士」

蒲団に胡坐をかいたまま、総士を呼んだ。

総士が敷かれた二人分の蒲団を見て、困りきった顔をしていたから。

「総士、こっち」

総士のために敷いた蒲団を指差す。

この蒲団で、好きなように休んで欲しかった。

「枕、高かったら俺のと・・・・・・」

替えようとして、総士が一歩下がった気配に顔を上げた。

血の気の失せた総士の顔。

目が合った。

「え・・・なに?」

のぼせたのか。

それなら急いで水を・・・・・・。

行動を起こそうとしたとき、予想もつかなかった言葉を総士が言った。

「帰る」

「え?」

「やっぱり帰る!!」

 急に身を翻した総士を慌てて捕まえる。

枕と蒲団を蹴散らして、総士を抱きとめた。

「待てって」

 この変わり様は、なんなのだろう。

さっき、一緒に風呂にまで入った。

逃げ出すなら、この部屋に来なければよかった。

普通の総士ならそうした。今の総士は、しなかった。

(普通じゃない!!)

顎に、総士の肘が思い切り当たる。

逃げようと、必死にもがいていた。

総士は、ここに来るまでは、ここに来ようとしていた。

それはわかる。

だから、ここまで来た。

逃げようと思ったのは、きっと今突然浮かんだことだった。

今突然何かが思い浮かんで、そのせいで、今、暴れた。

何を考え付いたのか知りたかった。

総士は何も言わないから、思ったことを少しも教えてくれないから。

考えるしかなかった。

間違えられない答え。

 総士が、腕から抜ける。

もっと力を込めるために、目を閉じた。

何も聞かないまま、総士にどこかに行かれるわけにはいかなかった。

目の中に総士の姿が浮かんだ。

夜の海の中に立つ総士。

黒一色の中に溶け込む総士。

見えなくなったら、二度と会えない。

目をこじ開ける。

総士に腕を巻きつける。

体を、密着させる。

絶対に放すつもりは無かった。

総士の体力が尽きるまで捕まえる。

 抱きしめる。

石鹸の匂いがした。

いい匂いだった。

「作業がったくさんあるんだっっ」

総士の叫び声。

「やらなきゃならないんだっっ」

それが、総士の行こうとする理由。

暴れる理由。

馬鹿みたいな。

「駄目だ!」

左腕を総士に絡めたまま、右手を伸ばす。

襖へ。総士が開けっ放しだった。何とかしないとここから逃げられてしまう。

襖に触れた瞬間、渾身の力を込めて閉めた。

「言ってくれ!総士、何か・・・俺、わからない!!」

総士が頭を振る。

濡れた髪が顔を直撃して、目に入った。

構っていられない。

「海に、何をしに行ったんだ?何をしたかったんだ?!なんでそんなに暴れなきゃならない!!」

さっきまで泊まるつもりじゃなかったのか?それがなんでいきなり!!

 ピタリと、総士が止まった。

ボサボサになった髪の間から、振り返る。

怯えきった青ざめた顔で。

そう、見えた。

「作業がたくさんあるんだ」

安心させてくて、微笑む。

ちゃんと聞いていることを示す。

「うん」

同じ言葉を、総士は繰り返した。

「やらなきゃならないんだ」

「うん。でも・・・・・・休もう?」

『でも』。総士の言うことなんて聞かない。

『うん』。とりあえず、総士の言いたいことは聞いてはあげたけど。

『休もう』。それ以外は許さない。

「今日は・・・たまたま、本当に運が良くて総士を見つけられたけど。次に海に行かれても、見つけてやれないんだ」

総士の肩に、顎を乗せて呟く。

「見つけてやれなかったら・・・俺・・・どうしよう・・・」

作戦でも何でもない、素直な自分の気持ち。

怖いと、伝える。

そんなことになって欲しくないと、告げる。

総士のしたいこともわかるけど、わかるけどやらせたくない。

総士がやりたいことは、自分が一番されたくないことなのだ。

それなのに一騎の気持ちを無視してまで、総士はしてしまうのか。

静かに、訴えた。

本当は怒鳴りたかった。

でも誰にも総士を怒鳴らせたくない自分が、怒鳴るわけにはいかなかった。

暴れなくなった総士が、腕の中で小さく震えだす。

ちゃんと言葉は聞いてくれていた。

嬉しいけれど、まだ足りない。

力ずくで、押さえつける。

 総士を抱いたまま、しゃがんだ。

総士も一緒に、しゃがんだ。

抱きしめているからわかる。総士の心臓の鼓動がどんどん早く、大きくなる。緊張している。休んで、欲しいのに。

 一緒に座った。

総士の髪がろくに拭かれていないせいで、パジャマ代わりに貸したシャツの背は、グッショリ濡れていた。

着替えさせなくては。

でも、まだ総士を放せなかった。

 本心では、総士だって休みたいと思っているとわかる。

さっきのは、暴れてみただけだ。

でなければ、こんなふうに素直に従うわけない。

休みたい。

寝たい。

でも、そうすることが恐くてしかたないのだ、きっと。

違う。

恐いのではない。

怯えているのだ。

任務を続けられないことに。

そんな、馬鹿みたいなことに怯えている。

本当に馬鹿な、大事な幼馴染。

体の都合で仕事を続けられない。そんなの、仕方ないじゃないか。

休んで、また元気になればいいだけだ。

元気になって、続けて・・・・・。

(そっか・・・・・・)

疲れすぎて、続けることを考えるのも嫌なのか。

なのに考えなければならないことにも疲れ果てていて、でもそのせいで仕事に手がつかなくなってしまったことに怯えていて。

何とかしたくても、もう何もしたくなくて。

そんな異常事態に頭が真っ白になってしまっていて。

自分が何をすべきかということさえ、考えられない。

何も考えられない自分を怖がって。

休みたくて海まで行ったのに、何もしたくないのにしなければならないことが増え続けることにパニックを起こし、

ひたすら沖へと歩いていったのに。一度は休むことを了承したのに。

全部無かったことにしようとした。

ここまできて突然。

全部無かったことにして、安心したがった。

ちょっと疲れたからって一つっきりしか考えられなくなるなんて、他のことを全部忘れて治ろうとするなんて、頭が悪いにも程がある。

できなかったら捨てられるとでも思ったのだろうか。

なんて、

不器用な、

「総士」

まず、蒲団の上に座らせた。

手を伸ばして明かりを消した。

反射的に腕から抜け出そうとするから、全部諦めたくなるくらいがっちり捕まえ直した。

「お前、心臓大丈夫か?」

明るく言おうとしたのに震えた。

「心臓、破裂しそうだ」

無理矢理捕まえた小動物のよう。

昔ひとり山から拾ってきた、怪我した雛。

そんな小さな存在でも、無力な存在でも無いだろうに。

このザマは何だろう。

 そっと、一緒に体を倒す。

真っ暗な中、足で探って掛け布団を手繰り寄せる。

総士を捕まえたまま、無理矢理蒲団を掛ける。

全身硬直したまま震えてるなんて普段の総士じゃあり得なくて、あり得なさ過ぎて、はやく何とかしてやりたかった。

「休めば治るんだ」

怒らないで教えてやることしか、できなかった。



決して怒らない



そのことがせめて、今の総士にとって救いになって欲しかった。



*****     *****     *****




 総士に聞こえないようなため息を、胸の内で何度したことか。

総士が眠らない。

眠らない。

眠らない。

震えてばかり。





泣きかける。



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