海遊び5
一騎に真っ先に風呂に放り込まれて、幼い時泊まりに来て入ったのと全く代わらない湯船に身を沈める。
冷え切った体には炊き途中の湯ですら熱く、浸かる先からひりひり痛んだ。
けれど、一度慣れてしまえば湯はずっと昔から待っていてくれたかのように受け入れてくれる。
柄にも無く微笑んだとき、乱暴な物音と共に素っ裸の一騎が風呂場にとびこんできた。
「か、一騎?!!」
「ごめんっ寒すぎた!!」
動揺する総士には目もくれないで、蛇口を全開にして一心不乱にシャワーを浴びる一騎。
すでに、白い湯気が風呂場いっぱいにたちこめていた。
そうこうするうち、止めるまもなく湯船にまで入ってこられてしまって、何か言うどころか頭が止まった。
なんとか交わせた言葉は
「狭い」
「言うなって」
この程度。
隣の一騎の方を盗み見ても天井ばかり見つめる一騎と目が合うことはなく、何があるのだろうと視線を
追ってもあるのは今にも落ちてきそうな水滴ばかり。
「最後に泊まったときは俺とお前で入ってもあんなに余裕があったのにな」
「そうか?」
それなのに、一騎の視線がはっきりこちらに向いたのを感じて目を閉じる。
「・・・・・そうだな」
総士の同意の直後、一騎が先に上がる。
髪を洗い始めてすぐに、声を上げた。
「凄い・・・砂ばっか出てくる・・・」
その声に目を開ければ、確かに排水溝へと流れていく湯に次から次へと一定量の砂が絶えず一緒になって
流れ、道のようになっていた。
よく見ようと総士が身を乗り出した弾みに、総士自身も足の裏に違和感を覚える。
見やれば、湯船の底にもたっぷり砂が溜まっていた。
足の指先で撫でると、綺麗な底が見える。
「・・・・・・代」
「え?」
「交代」
しばらく底ばかり見つめていた。
頭や肩の重さが顔をあげることを許さない。
たちこめる湯気に頭の中にまで入り込まれたようで。かろうじて目を開ける努力を懸命にしていたら一騎
の言葉に遅れた。
「ああ・・・そうする」
一騎の言葉を完全に理解したのは、返事を返した後というなんとも無責任な話。
すごく近くに心配そうにしている優しい顔があったので、笑みを作って返した。
お湯も空気もあたたかいのに手に取ったシャンプーだけが冷たくて、遠慮した分だけ手にとって髪につけるも
潮が邪魔して全く泡立たない。
「いいよ、もっと使って」
湯船から身を伸ばしてきた一騎が、シャンプーのボトルを手にとって、総士の頭の上で十数回ノズルを押した。
「出し過ぎだバカ」
顔をあげたとき、一騎の笑顔が返された。
楽しんでいるものとは別のもの。
(作られた・・・・・・)
そう直感でわかるもの。
自分と同じような、顔。
ベタつく髪を洗い上げる以外逃れられなくて、一騎に誘導されるようにして髪を洗う。
良い匂いが湯気のあたたかさの中に膨らんで、体の震えが消えたとき、床の砂の道の上を大量の泡がい湯の流れに乗って
滑っていった。
笑顔まで作られた。
どう思われているかわかるのが嫌で、髪を洗い終えてもいつまでも髪を指ですく。
整えている間に一騎の視線がズレてくることを望んだのに、それだけ叶わない。
(・・・・・・はやく帰らなくては・・・・・・)
そんな想いが、体があたたまるにつれ爆発しそうになっているのに。
いつまでもそうしていたら、突然シャワーを奪われた。
手つきの乱暴さに思わず噛み付く。
「何を!」
「何をって・・・・・もっとちゃんと洗わないと。砂、落ちないからな?」
シャワーをかけてくれるらしい。
その間に両手で洗えと。
「リンスもちゃんとあるから・・・・。試供品のヤツだけど・・・・」
少なくとも。
髪を洗っている間だけは顔を下げていられることが唯一の救い。
三度目のシャンプーで、ようやく最初から泡立った。
***** ***** ***** *****
総士が目の前で髪を洗っている・・・・・・というのも。
亜麻色の髪から離れたシャボンがこちらまで漂ってきた・・・・・・というのも。
夢のような気がしていたのが、ぼーっとしていた頭の奥にまでしみてくる。
総士からの、いい匂い。
湯の温かさ。
そういうものが、一度にわかった。
もう冷たくないし、痛くもないし、恐くない。
・・・・・・安心して良い。
「助かったぁ」
湯に身を預けて、体中から力を抜く。
この家は、そんなことをしても大丈夫な場所。
攻撃されない、安全な場所。
首まで湯に沈めて、目を閉じた。
だから、総士が小さく笑ったのに気づかない。
次に体を起こしたとき、総士は髪を洗い流している途中だった。
ちっとも顔を上げない隙に、湯船の中から無事守りきれたものをじっと見つめる。
肩も、背も、足も、腕も。
触れると気持ちの良い総士の肌は、どこも傷ついていない。
総士の体でおかしくなってしまったところはどこにもない。
ちゃんと守れた・・・・・・。
良かった・・・海に盗られなかった。
あんな暗くて冷たくて、嫌な・・・・。
あの場所の不気味さは、居続けた自分が一番良く知っている。
苦しくてあげた悲鳴も、泣き叫んでも、誰にも聞こえない。
絶対に一人きりな場所。
でも、ここならもう。
(綺麗だな・・・・総士)
総士の頭の先から足の先まで無事を確認したあと、改めてほっとした。
心地の良い、満足感。
少し疼いた。
総士は随分長く髪を流していた。
手櫛で髪を整える総士の手つきをじっと見ていた。
じっと見つめて、それから大きなため息をつく。
総士に聞こえていないのを承知で。
だって助かったのは一騎だけ。
一騎が、ちょっと危ない場所にいて、そこから怪我無く帰ってこれただけ。
(総士は・・・・また行く?)
総士が髪をかきあげ、顔をあげた。
湯のおかげか、頬がほんのり染まって見える。
(・・・・行くんだろうな)
漠然と、そう思った。
うつむくと、鼻まで湯に入る。
大きく息を吐き出すと、ブクブク泡が立った。
それは不満の代弁。
全て出し切っても苦しさが残る。
息をとめて、目をきつく閉じても、ずっと。
ふりきろうと勢いをつけて湯船から立ち上がる。
これには流石に総士も驚いて、顔を上げた。
「もう出る」
丸い目で見上げてくる総士から、シャワーを取り上げる。
「蒲団、敷いてるから・・・・・」
存外冷たい声が出た。
気持ちのそのまま出た早口の嫌なもの。
気づいたときには全て出きって取り返せない。
総士にどう思われただろうか?
「えっと・・・・・あったまってて・・・・」
総士の丸い目が寂しそうに笑ったので、それ以上とても見ていられずに。
手伝おうと言ってくれた言葉からも、逃げるようにして浴室から出た。
すれ違い様に小さく笑うのがやっとだった。
***** ***** ***** *****
敷き終えた冷たい蒲団に一人転がる。
本当なら泣きたいぐらい、おかしくなった総士が嫌だった。
でも今まで見てきた総士は、何があっても泣いて頭を止めるようなマネはしない。
決して泣いてはいけない理由が今になってやっとわかった。
頭が泊まれば腹正しいほどなにもできない。
止まる暇は無い。
総士を二度と海に行かせない為に。
落としたのかぶつけたのか、手桶の鳴る大きな音がした。
我に帰って、総士の着替えを渡しに立った。
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