海遊び 4


棚に積まれた皿のようなものを一枚手に取り、しげしげと眺めてから戻す。

それから溝口は、背後で一心にろくろを回し続ける史彦に言った。

「総士を海にやったんだって?」

史彦は聞えなかったフリをしたかったのか、しそびれたのか

随分間を空けてから返事が返った。

「彼は一人で休むことができない・・・・・」

短い答え。けれど十分に納得できるそれに溝口は頷く。

「総士の野郎、まじめだからなぁ」

「しかし真面目である結果、死なれても困る。彼は代えがきかない」

「気づいたときにゃ疲れた総士が部屋で首くくってるってか?」

またしばらく、ろくろだけが回る。

促す溝口のため息と、史彦の声が重なった。

「あり得る話だ。信じてはいるが、それとは別だろう」

「一年や二年で終わってくれるような戦争じゃねぇってのはアイツが一番理解してるだろうに」

「頭ではわかっているだろうが、彼の場合・・・・・・」

「一瞬でも早く一騎たちに楽園を返してやりたい一心でってか?・・・・きっつい話だなあ」

背後で、大きく伸びをする溝口の気配。

対して史彦は、ようやくまともな形になった皿を満足そうに眺めた。

笑みまで浮かべて言う。

「見ろ溝口、まともな形になった」

普段、アルヴィスのトップの地位にある人物のそれとはとても思えない言動に、溝口も薄く笑った。

「司令のお前が家で粘土をこねてる時、なぁ〜んも考えちゃいねぇと知ったら、総士、おったまげるぜ?」

そして棚にこねあげた皿を運ぶ史彦をじっと見つめて、続けた。

「羨ましいって泣くかもな」

その間には構わず史彦は戻り、また将来何になるかわからない粘土をこね始める。

溝口は立ったまま戦友の手元を盗み見、気にせずこね続ける史彦の額には、若干の汗が浮かぶ。

「だが、こちらで彼に休みをやったとしても、自室に戻れば別の仕事を上げてくる。自制のつもりか自ら

友人に会いに行くこともしない。我々がいくら言って聞かせても、彼が聞こうとしない」

「そりゃ俺らサイドからはお手上げだわなぁ・・・・・・それで一騎に任せたわけか」

「いや、一騎は総士君に誘われていった」

矛盾した答えに笑う。

「自制してんじゃないのかよ、疲れ果てて一騎に泣きついたってわけか」

へらへら笑っていた溝口だったが、思い当たった瞬間に、背筋が凍りついた。

まだ粘土を全力でこねている史彦に、囁き声よりましな程度で言う。

「お前まさか・・・・総士に入水のきっかけやったんじゃ・・・・」

「一騎が全力で止めるだろう」

この話題を

この司令官に、これ以上ろくろに向かいながら話させるつもりは毛頭なかった。

背後から肩を掴んで力ずくで振り向かせる。

振り向かせた司令官は、まっすぐに見返してきた。

「一騎が止めることで彼は自身の疲弊を、それが理性的には行動を取れない域まで達していることを自覚する。

以降は我々からの休息の話にも乗るだろう」

きっぱりしすぎた答えだった。

戦友の肩を掴んだばかりの手が、だらしなく下がる。

「・・・・・お前なぁ」

「幸い総士君の方から一騎を誘いに来た。・・・・まだ、彼を拾う価値はある」

「心のどっかで自分が何するかってのは薄々見当ついてたわけか。一騎にゃ心臓に悪いSOSだろうぜ」

「・・・・・そうだろうな」

ろくろ台のモノを、史彦はもう一度潰す。またこねなおし始めながら、史彦は小さく笑った。

後ろにいる溝口からは見えない。

史彦は、溝口が急に玄関の方を見たのに気づかない。



 いきなりガラス張りの引き戸が勢い良く開けられて、子供二人が転がり込んできた。

物音の大きさに目を剥いた史彦がそちらを見ると、ずぶ濡れで半裸の息子と、ずぶ濡れで素足の息子の

友人が土間にぶっ倒れていた。

一騎が顔を上げると、髪からとめどなく水が滴る。

潮が香った。

二人の子供を濡らしているものが、海水と知れた。

「おいおいホントに跳び込んだのかぁ?」

近寄る溝口を遮るように一騎が叫ぶ。

「父さんっ風呂は?!」

唐突過ぎて、史彦は答えられない。

家事について問われても、返事が返せない。

間髪いれずに業を煮やした一騎が同じことを叫ぶ。

「風呂は?!」

二度目でようやく史彦の脳は反応した。

「・・・・湯は・・・・張ってる」

「じゃあまだ水だな!!」

一騎は父親の答えに反応というより反射して跳ね起き、そのまま風呂場へと走る・・・が、そのまま蹴っ躓く

よう体の向きを変え、史彦の寝所に駆け込んだ。

 すぐに同じ勢いでタオルケットと毛布を抱えて戻ってくる。

「総士っとりあえずこれにくるまってろ!!」

「一騎・・・・・それ父さんの・・・・」

ごにょごにょ言う父は無視して土間に飛び降りると、まだ床に突っ伏したままの総士の髪や体をタオルケットでざっと拭く。

そのまま上から毛布をかけて、再び風呂場へと駆け去った。

 残された総士は、体を拭おうとはしないで

一騎に毛布をかけられたときのままの姿勢で、震えていた。

 同じ場所に、史彦がいるということに。

「可哀想に、ずぶ濡れじゃねぇか」

察した溝口がわざとらしく言い、総士の方に向かった。

庇うつもりで史彦と総士の間に腰を下ろし、乱暴に総士の頭を拭いてやる。

史彦がろくろを回しはじめたことで、一見この場は落ち着いたかに見えた。

なのに。

「死のうとして一騎に止められたか」

何も考えていないはずの男が邪魔をした。

毛布の下で、一瞬にして総士の体が強張る。

「違い・・・・ます・・・・」

消えかけの声が、毛布の中から、した。

「ではこの現状は何だ」

「申し訳・・・・ありませ・・・・」

「何だと聞いているっ」

突然荒げられた声に、今以上に総士の体は震え上がった。

「おい真壁っ!!」

遮るために張り上げられた声を史彦は聞かない。

「キミの立場でよくもこんな真似が出来たものだな。部下は死地に追いやっておいて自分はこれかっ!!」

一喝に、風呂場から真っ青になった一騎がすっ飛んでくる。

「父さん何をっ!!」

 風呂場では父親が皆城総士に掴みかかっているかのように思えたけれど、駆けつけてみれば静かなもので。

それが一騎を動揺させる。

 父親はいつものようにろくろを回し、溝口は父と総士の間にしゃがみ、総士は一騎が離れたときと同じ姿勢

のまま動かなかったから、想像と現実のギャップに体が自然と止まってしまう。

一騎が来たことで、ピタリと喧騒が止んだことも差を生んだ原因だった。

変わったことと言えば、溝口の立ち位置が変わっただけで。

一騎はまず父の背を見て、次に溝口を見た。

何が何だかわからなかったけれど、そのまま、土間にうずくまっている総士を見た。

何もわからなかったけれど、とにかく大声を上げたのは自分の父親で、大声はうずくまる総士に向けられた

ものであることはわかった。

何があったか隠されてしまった空間の中、父親を一瞥してから総士に駆け寄る。

あとは総士に夢中だった。

「総士っごめん・・・・・・父さんが・・・・」

自分は悪いことなどしたつもりは無い。でも父が、最悪の罪を犯した。

ここで総士を怒鳴るなんて、そんなバカな真似。

 確かに今日の総士は変だった。怖いぐらいにいつもの彼とは違っていた。

でもだからこそ、元の彼に戻してやることが、自分の何よりも優先された仕事であって、自分はその仕事場として

最も安心できる自宅を選んだ。

そんな聖域に総士を引きずり込んだはずなのに、そこで総士は傷つけられた。

傷つけたのは父親だった・・・・・・それは許されないことだ。

父親が犯したということは、自分が犯してしまったも同然である気がした。

それ程までに信じきっていた場所だ。

 慌てて、そして竦んでしまって動かない手でもって、総士にかけた毛布を剥がす。

罪の重さを告知するもの、総士の泣き顔を覚悟した。

「え・・・・・・?」

 割に合わず毛布は簡単にめくれた。

思わず声を上げてしまう程、覚悟は簡単に裏切られた。

泣き顔などはどこにもなく、ほとんどいつもの総士の顔。

顔色が悪いかでさえ、土間の暗がりでよくわからなかった。

一騎など眼中に無く、まっすぐ史彦を見ている。

「申し訳ありません」

今度ははっきりと、史彦に告げた。

そして一騎を置いて、さっさと立ち上がる。

「アルヴィスに戻ります」

今まさに出て行こうとした時だった。

「戻ってどうする」

変わらない厳しさの、史彦の声がとんだ。

それに振り返らず、総士は応える。

「仕事の続きがあります。明朝には間に合わせますので、それを元に午後の会議内容に数点の追加を・・・」

最後まで言わせなかった。

「終われば?」

「次を」

「次は?」

「次・・・・・が・・」

 ほんの僅かに言い澱んだ総士を、敏感になった一騎は見逃さない。

総士を中に引き戻そうとしたとき、史彦のため息が、一騎を止めた。

「ここにいなさい」

音を立てて開いたガラス戸が、途中で止まった。

総士が消えるまで、あと一歩しかなかった。

史彦の声が、追う。

「今の君なら、迷わず休むべきだ」

総士に反論できるはずが無い。問題の全ては、総士にあった。

それを忘れられるほど、器用ではない彼だ。

史彦はろくろの前から立ち上がり、総士の方へ向かっていく。

溝口もそれに従った。

「今夜は、泊まっていってもいい」

そして総士の横を過ぎて出て行く。

あっけにとられた表情を見せた総士に見向きもせず、けれど声だけは優しく投げた。

一騎には、今夜は溝口の店で飲み明かすと告げ、さっさとガラス戸を閉める。

史彦が戸から離れる際に、立ち尽くす総士にそっと近寄る一騎の姿が目の端に映った。







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