悪い夢から目覚めるときと同じように、シートから勢いよく身を起こす。息がはずんで、制服は冷や汗をたっぷり吸っていた。
身を震わせ、体の感覚を取り戻す。
急な覚醒ではっきりしない意識であって、頭は割れそうに痛んだけれど、構ってはいられなかった。
再び一騎に取り込まれる前にシステムを切って「一騎」を完全に拒絶する。
作業終了と同時に深いため息が出、激痛の治まらない頭を抱える。
信じられない思いでいっぱいのまま、震えるからだを叱りつけてシステムから降りた。
システムの扉が開いた瞬間にブルグへと走る。
もともと低い位置で束にしていた髪が、走ることで解けはじめる。
活発な運動を前提としないデザインの制服は、全力で走るには不都合すぎた。
形振りかまわずブルグへの直通エレベーターへと駆け込む・・・。
......ブルグが騒がしい。
誰かが何かを喚き散らしていて、時折それに絶叫が混じっていた。
その人間を抑えるか、あるいはなだめる声を相手の耳に届けるためには張り上げねばならず、
それらが全て合わさってブルグ内に響いていた。
エレベーターを降りた直後の総士に届いたそれは、総士のゆとりを全て打ち消し再び全力で走らせた。
近づくほどはっきりと聞き取れる、総士の名を呼ぶ叫び。
乱れきった声に、後悔と罪悪感が押し寄せてきて、総士の胸を潰しにかかる。
他でもない一騎とのクロッシングであったから信頼していたし、安心していた。
その油断が、心の逆流を招き、今回の惨事へと発展した。
***
マークザインのコクピットが再度搬出される直前に、ブルグのコンピューターは最後に残ったパイロットの異常を訴えた。
鼓動と呼吸が速すぎる。そして極度の興奮状態による、脳波の乱れ。
パニックだと、誰かが呟く。
相応のスタッフが、搬出されるブロックを待ち受ける。
主に、パイロットが少しでも落ち着きやすいように、見知った幼馴染の親達を中心として。
ブロックが開かれる。一騎は、親達の中に引きずり出された。
叫び声はその瞬間から開放される。
普段の一騎は見る影もない。戦闘中の極度に興奮しきった一騎でもない。
声が割れるほど泣き叫び、ひたすら総士を呼んでいた。
(総士っ)
自分で出しているはずの悲鳴や、それに見合った動悸と息遣いに翻弄される。自ら勝手に恐怖を煽る。
総士を、昨夜守ると誓ったばかりだった。マークザインはその為だけに存在していて、自分はマークザインであって、
その中にいる総士は他のどこよりも安全なはずだった。
なのに消えた。
まるで死ぬように弱っていって、そして突然消えてしまった。
それもただ消えるのではなくて、強い恐れと同様を一騎に叩きつけて。
狂うには十分だった。
(俺がっ俺が守らなきゃいけないのにっ)
総士を今すぐ探したいのに抑えてくる親達が邪魔だった。
何度も何度も振り払おうとするけれど、その度に新しい手が伸びてくる。
親の一人が一騎のためにジークフリードシステムと連絡を取ろうとした。
けれど総士はとっくにシステムを降りていたから、通信先に総士の姿はもちろん無い。
それを一騎は見てしまった。
自分の不安の確たる証拠。
(総士が・・・いない)
情報を全て飲み込んだと同時に、喉は大声を張り上げる代わりに息を止めた。
恐怖が消える。
(俺もいなくなってしまえ)
頭が止まった。周りの声も遠のいていく。
「一騎っ」
一番求めていた声がブルグに響いても、受け取ることができなっ・・・。
***
体が重くて、息苦しい。
目は開かないけれど、誰かの話し声が近くでしていた。
「あんたが責任を感じるのはもっともだけどね、ジークフリードシステムのあれ以上の強化は無茶だよ。あんたの心が壊れるのを早めるだけださ」
(・・・西尾の・・・婆ちゃん?・・・)
「機体がマークザインであればこその事故だ。あらゆる面で未知数であり、今回のことは予想外だった。一時間後に緊急会議を開く。
君も顔色が悪い。それまでここで休ませてもらいなさい」
(父さん・・・?)
目やにで開かなくなった目をこじ開ければ、一瞬世界がぼやけた。
それでも、一番近くでこちらに背を向けている人間の後姿ぐらいは目に入る。
すぐに目はしゃんとしたはずなのに、景色がにじんだ。
馬鹿みたいに涙が止まらない。
「そ・・・・し・・・」
良かった・・・安心した・・・総士が目の前にいる。
手を伸ばせば繋ぐことはできたけれど、それはしないで触れるだけにする。
触れて、目覚めたことを伝えた。
期待を込めて、待った。
けれど返されたのは謝罪の一言だけだった。総士は振り返りもせずに歩き出す。
伸ばされた一騎の手だけが残された。
西尾博士がその行動をとがめる。せっかく目覚めた友人にその態度かと。
総士は言う。
「もう、友人ではありません」
離れていく靴音を、一騎は静かに聞いていた。
規則正しい総士の気配。
遠のいていくものでも感じられることは幸せだった。
遠見千鶴が近づいてきたことで、医務室に運ばれたことを知った。
注射を打たれて、すぐにもまどろむ。
(ああ・・・でも・・・)
何人かの視線が注がれているけれど、どれもいらない。
(俺は・・・また総士の心を凍らせた・・・)
そんな自分を心配してくれるのは、嬉しい。嫌じゃ、ない。
けれど。
(一人でいいから・・・総士が泣いてるのに、気づいて・・・)
***
地下二十八階。アルヴィスの最下層であり、支え。
キールブロック。
昨夜、総士自身が一日の大半そこにいると言った場所。
ブルグから回収されたあとはずっと眠っていたから、まったく眠くはない。
一騎は、そこの唯一の出口であるエレベーターの前に座り込み、じっと待っていた。
遠見千鶴には自宅に戻ると告げ、父には無断。
そうして、奥で起動し続けるジークフリードシステムをずっと眺めていた。
中に入っているのは自分の宝物。
(・・・綺麗だな、ここ)
社会の授業中、地理の資料集にカラーで載っていた聖堂とは別の気配がする。
どちらかといえば、ひとり山からの景色に似ている気がした。
圧倒されてしまって隅のほうに縮こまっていることしかできない。
朝まで待つつもりでいたけれど、もしかしたら、動けなくなってしまっただけかもしれなかった。
医務室で最後に時計を見たのが二十二時。それから五時間が経ったところで、一番奥の王座が動きを見せた。
総士がシステムから降りる。こちらに向かって歩き出した。
(でも総士の視力じゃまだ俺は見えない)
手を振ってやろうかとも思ったけれど、総士が気づくのを待つことにした。
自分以外の誰かがいるとは思っていないのか、総士は手元の電子パネルを睨みながら近づいてくる。
すれ違い様に言ってやった。
「歩きながらそんなもん読んでると、目、悪くするぞ」
エレベーターに乗り込む直前で、総士はぎょっとして立ち止まった。
エレベーターの手前にあるわずかな段差に一騎は腰掛け、総士を見上げる。
すぐに総士の目は死んでいった。
上から声が降る。
「今・・・何時だと思ってる?」
「三時」
総士の声は、総士が島を出て行ったときの声と変わらなかった。
追い出そうとする総士の意図が滲み出ていた。
「聞きたいことがある。聞いたら,帰る」
「なんだ」
返答は,一騎に答えるというよりも、仕事の一つとして割り切られていた。
「聞きたいことがある。聞いたら、帰る」
「なんだ」
総士の返答は、一騎に答えるのではなく、作業の延長線上にあった。
「今日、俺はどうなったんだ?」
総士は仕事の一つとして、一騎の問いかけに応じた。
「マークザインの同化機能が暴走し、それにジークフリードシステムが同調してしまった。僕の対応が遅れて、お前に不要な負荷を掛けた。
明日中に再発を防ぐ案をまとめる。・・・決定があれば、僕から伝える」
「・・・なんで、クロッシングの最中に総士が消えていったんだ?」
「マークザインにシステムが同調したことで、クロッシング率が跳ね上がった。・・・僕と一騎の境界が一時的だが消えたんだ。・・・
結論だけ言えば本当の一つになっていた」
「それだと、総士からすれば俺が消えたってことか?」
「いや、それは違う」
見据えてくる総士を、一騎はまっすぐに見返す。そうすることで、全部に答えてもらわなければ帰る気はないことを伝えた。
「僕の存在はシステムごとザインに飲み込まれていた。互いの体温以上のものを感じただろう?遠くなったのではなく、近くなりすぎたんだ」
この答えだけは一騎にとって予想外だった。
強気に振舞っていた表情を思わず崩してしまうほどに。
「っ・・・ごめん」
「僕が弱かっただけだ。お前に問題は無い」
「だけどっっ」
「質問は終わりか?」
あくまで突き放す姿勢を総士は変えない。
それでも答えを返してくれることだけが救いだった。
少なくとも総士は、一騎の存在を受け止めている。
だったら、こちらから働きかければ何らかの効果は必ずある。
(俺が守りたいのは・・・体だけじゃない)
立ち上がってエレベーターの前に立ち、総士と視線を合わせる。
「あの時総士は何にあんなに強い恐怖を感じたんだ?」
・・・・・・一騎を見据えていた総士の瞳が、一瞬動じて揺れた。
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