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6、ひっぱる (上)
外がどんなに暑くても、鈴村神社の境内の中はひんやりとしていた。
薄暗さに慣れてくると、格子から見える晴れ渡った空が目を焼くほど眩しかった。
甲洋は寝転がって外に背を向ける。
誰にも見つからないように、独りで泣いていたかった。
外で泣いていれば誰かが来てくれることはわかっていたけれど
来てくれた後に帰られてしまったら、もっとずっと痛いだろうから。
こんな場所でしか泣けない自分が、帰る友達を呼び止めて良い筈なくて。
大した価値の無い自分が、人を煩わせて良い筈などなくて。
涙を拭きもしないで、ぐったりと横たわっていた。
鼻水だけは、時々啜り上げた。
湯だった外とは別世界にいることで、半面自分をいたわり続け、半面自分を傷つけた。
(・・・もう少しかな)
泣きすぎて、ぼんやりとしてきた頭で思う。
疲れきるまで泣いて、何も感じなくなったら家に帰る。
少し前に見つけた、これ以上は悲しくならない魔法の方法。
ふらつきながら帰れば、お父さんもお母さんも嘘みたいな大袈裟な身振りで心配してくれた。
怒っていたことなど忘れてくれた。
なんで怒られたのかは、いつもその時になってさえわからなかったのだけれど。
わかったのは、悪い自分は誰かの傍にいてはいけないということ。
いれば、お母さんやお父さんが怒ってしまう。
自分のすることが全て、二人に嫌な思いをさせてしまう。
だったら、こんな自分は、いないほうがいい。
突然、境内の観音扉が引き開けられた。
たまっていた冷たさが、次々と外へ逃げ去った。
纏わりつく熱い風が服から出た肌を焼き
差し込む陽光がたちまち甲洋の身を潜めていた場所を、現実世界へ引き合わせた。
うっとおしさに、閉めなおそうと起き上がる。
自分に意識がある間は、外と交わってはならなかった。
なのに
顔を覗き込んでくる汗だくの顔と目が合った。
「そうし?」
想定外の来訪者に、だるさは一時的には消えうせた。驚きは相手の名を口まで運んだ。
吸い込む大気の熱さに、にじみ出たのは汗だけではなかった。
「どうして・・・ここがわかっ・・・っ」
聞き取れるぎりぎりの声を出した瞬間気持ちが緩む。
泣きそうなのを力いっぱい頑張って我慢しようとしたら、力んでしまって、我慢した分汚い鼻水がいっぱい出てしまった。
その瞬間心を覆う、激しい後悔。
こんな汚いものを総士に見せてしまって、それでも一緒にいてほしいなど、虫が良いにもほどがある。
証拠に今、総士は目を丸くしてこちらを見ている。
せっかく来てくれた総士も行ってしまうと思うと、また悲しくなった。
お父さんや、お母さんに言われた言葉より、もっと悲しくなった。
・・・・・・でも安心も、少しだけした。この方が良かった。
独りのほうが、きっといい。
総士が出て行ってくれて、寂しくてたくさん泣いて、今よりもっとずっと長い間つらい思いをしたら
誰かに自分は許されて、皆が優しくなってくれるはずだった。
「こうよう・・・泣かないで?ねぇ、なんで泣いてるの?」
その筈なのに、総士はすぐにぺたんと座り込んで、顔を覗き込んでくる。
でもそれはとても嬉しいけれど、許しては、もらえなくなる。
誰かに。
お母さんに。
それは悲しいことだった。
(これは嘘だっ・・・)
明日のことを考えた。
明日の朝総士は、みんなに自分のことを話すだろう。
男なのに鼻水も涙も出して、隠れて閉じこもって泣いていたと笑っていうだろう。
それだったら・・・・・・少しは良いのかもしれないと思った。
悲しい思いをすれば、その分だけ自分は誰かに許してもらえる。
「こうよう?」
総士の声に、肩がはねた。
許されるためには、これ以上優しくされてはいけない。
知らないうちに、目つきはお父さんのものとそっくりなものになる。
言葉はお母さんの真似をする。
「そうしに言ったってわかんないよっっ」
叫んだ途端、総士の肩がビクリと震えた。
目が大きくまばたいて、次には床を見つめていた。・・・それは甲洋も同じで。
総士のことは、好きだった。
総士の、自分の思ったようなことは絶対にしない、優しいところが好きだった。
なのにとても酷いことを、自分は考えてしまった。
・・・・・・謝らなければ。
「・・・・・・ごめん」
しでかしてしまったことの大きさに、果たして許されるか不安に思う。
みんなに好かれている総士を、自分なんかが怒鳴って良いはずがない。
出すぎたことを考えた。
総士を悪くして、自分なんかが幸せになろうと考えた。
「・・・・・・うん」
少し遅くても確かに返ってきた総士からの返事に、どれだけ安心したことか。
涙も拍子に引いてしまった。
続けて心配してくれたことのお礼をいえば、青ざめていた総士の顔が、花の様に笑った。
彼が笑って、自分が安心したら
彼の笑顔を見ることが自分のしあわせに繋がると誤解した。
総士をもっと幸せにしたい。
幸せな彼を見ていれば、自分も幸せになれる。
誰かに許されて幸せになるより、ずっとはやく幸せになれた。
やっぱり自分は総士のことが好きだった。
大好きだった。
「外、行こうよ」
思った矢先、総士のほうから誘いがあった。断る理由は自分にはない。
第一総士は誰からも好かれていて、自分は親にすら疎まれていた。
お父さんやお母さんも、総士の前だと急に笑顔になった。
そんな総士は世界の全てから愛されているように見えた。
羨ましかったけれど誇らしかった。
手を繋ぐだけでも、全てから愛されている総士にしてもらえることで、自分も外の一部になれた気がした。
外のどこにも居場所が無くて、こんな場所に逃げ込んだ自分を総士は見つけ、手を伸ばしてくれた。
伸ばされた手を握り返せば、ぐいぐい引っ張られて外へと連れ出された。
カッと照りつけてくる真夏の太陽、目がくらんだ。
総士がどこに連れて行ってくれるかはわからなかったけれど、総士に連れて行かれる先が、悪い場所で
あるはずなかった。
境内にあっという間に充満した熱気は、甲洋の中にまで
侵
はい
ってきた。
入るばかりで出て行こうとしない熱は、次第に溜まり、脳をゆでる。
それも甲洋には、たださっきよりぼんやりした程度にしか感じられなかった。
それらを全て、幸せであるせいと錯覚するほど、飢えていた。
相手が、総士であれば申し分なかった。
目が覚めたのは階段を降りきった時。
甲洋をひっぱって、先を歩いていた総士の足がピタリと止まった。
総士が呼ぶ。
「一騎」
嬉しそうだった。甲洋に対して笑いかけていた時よりも、ずっとずっと晴れやかな表情をしていた。
息が止まる。
前に立っている一騎の足元ばかりを、強く睨みつけていた。
たまらなく寂しかった。
睨んでいたのではない。
瞬きすらできなかった。
・・・来るなら、何も今でなくとも良いだろう?総士が、総士のいる世界の一つに自分を案内してくれて、
その場所を分けてくれた後でも。総士が、傍にいてくれた証を残してくれた後でも。
そうしたら自分はもう、ずっとそこにいる。総士の場所にいられるだけで幸せだ。
一騎の邪魔などしないのに。そもそも、できやしないのに。
もし自分がもう少しだけ人から好かれていて、その分だけ世界から許されていたとしたら、こんな思いを
しなくても済んだはずなのに。
自分が一瞬でも、人の中に存在できないとわかる事などなかったのに。
冬の海に落ちたような、絶望的な冷たさだった。
あっという間に身体のしんまで冷え切って、心臓が止まる。
誰も助けに来ないだろう。声など誰にも届かない。
夏の暑さにくらんだ。
(今だけ総士を取らないでよ・・・・・・でないと
しななくちゃ
・・・・・・
ならない)
突然そんな考えが、他の全てを打ち消して浮かびがった。
考えた自分ですら震え上がったが恐れた分だけその考えは真実だった。
失せるしか、残された方法がないように思えた。
(総士だけが・・・・・・)
総士だけが救いになった。
来てくれた。誰にもわからないように隠れていたのに見つけてくれた。
駆け引きをしていた。
そこですら見つけてもらえなかったら、今度こそ消えようと思った。
まっすぐな心にそう思った。
なのに。
再び目が真っ赤に熱くなった。
「そうし、一緒に遊ぼう?」
ボールを持った一騎が当然のように総士を誘った。
訊ねるようであったけれど、総士が一緒に来ることを確信している声だった。
確かに、過去からの習慣においてそれは確定していた。
”とらないで。そうしをとらないで”
口にまで出したかはわからなかった。あるかないかわからない声が伝わったのか総士は
「今日はこうようと約束したから駄目っっ」
断った。
一騎と甲洋、違う思いで目がまるくなる。
一騎は、まさか断られるとは思っていなかったし、甲洋は、まさか選んでもらえるとは思っていなかった。
違ったのは、次の行動。
甲洋がぼうっと突っ立ったまま、感謝で胸をいっぱいにしていたのに対し、一騎は、信じられないという
思いを、そのまま行動に出した。
まだふわふわしている総士の腕を乱暴に引っ張り、有無を言わさず駆け出した。
総士は立ったままであったから、一気に腕がびんっと張って身体ごと前にのめった。
同時に総士の悲鳴が上がった。
子供達の中で一番力の強い一騎が本気で怒って握った部分は腫れる寸前で止まっていた。
「痛いよっ」
続けて叫んだ総士に、一騎の怒鳴り声が返される。
「すぐに来ないのが悪いんだっ」
総士の顔が真っ赤になった。一騎も総士が怒ったのを感じたのだろう、利き手の右を振り上げていた。
のを見た瞬間、甲洋の身体は一騎と総士の間に割って入っていた。
それだけだったら一騎の手は迷うことなく振り下ろされていただろうけれど、それより先に
「もう一騎とは絶対遊ばないからっっ」
総士のほうが先に叫んでいた。その途端、さっきまでの怒気はどこへやら、慌てきった一騎がそこにいた。
「こうようっ行こうっっ」
まだ怒りの消えていない総士が、甲洋の手をとって駆け出した。
転びそうになりながらも甲洋は走り出し、総士の手を味わった。
一騎は追いかけてはこなかった。
走っている間中、総士は手を放さないでいてくれた。
そのことがとてもとても嬉しかった。
総士が選んでくれたから、世界も、甲洋のことを許してくれたように思えた。
だからこそ、総士を一生大事にするとまで誓えた。自分を独りから救ってくれた総士に何よりの感謝を。
声を聞いて、来てくれたことに感謝を。
そしてこの先になにがあっても、総士がしてくれたように、自分だけは必ず総士の味方で、
総士がしてくれたように、必要なときはかならず傍に・・・。
傍に・・・。
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