ひっぱる 中


 偶然にも、総士が手に入った。

それは全く自分にとって、一粒の宝石が崖から転がり落ちていくようで。

砕け散る直前に、すんでのところで受け止めたのだ。

本当は、総士は一騎の宝物で、受け止めた直後には返さなければと思ったけれど

一騎のほうが逃げた。

返さなくてすんだ喜びに浸ると同時に、世界の全てを手に入れられたと思った。

片目の見えなくなった総士に、いつも付きっきりで立つことが許された。

それ以上安堵したことは無かった。

世界を完全に手に入れた。

総士が目に傷を負ったことにまだ慣れていなかったときは、総士はまっすぐ歩いているつもりでも

少しずつ右に寄って行ってしまい、よく何かとぶつかっていた。

だからそれを言い訳に手をつないだ。

二度と放さないと誓った・・・・・・。

 あれから随分と背が伸びた。

今は、あの宝物を捨てて良かったと心から思う・・・。



*** *** *** ***



 翔子が空から帰らなかった日は、特に時間の経つのが早かった。

悲しいことが起こってしまった外にこれ以上巻き込まれるのが嫌で、呼び出しの表示に「春日井」とあるのに

無視して薄暗い休憩室へと逃げ込んだ。

 慌ただしく人が動きまわるせいで暑苦しい外とは違い、ここはひんやりとして気持ちがいい。

腰掛けたいすの背を倒してもたれながら、いつかのようだと思った。

あとは、薄暗い天井の隅に目をやったまま、動きを止めた。

何も考えないでさえいれば、涙が浮かぶことは無いと子供のときから知っている。

ただ長いこと、試していなかった。

 壁に沿って並べられた自動販売機の立てる音が、やがて気にならなくなっていく。

そっと目を閉じようとしたとき、休憩室の扉が開く。

人の気配に体が強張り

嫌な予感に薄目を開けた。

 あの時は総士に見つけられてしまった。

今は、あの時以上に一人でいたいのに・・・・・・。

まともな顔で面とむかえるとは、とても思えない。

ところが向こうもどうやら逃げ込んできたらしい。

ぎょっとした声が降ってきた。

動揺と息遣いから一騎と知れた。

「甲・・・洋・・・」

名前まで呼ばれてしまったから仕方なく振り返る。

何もできず、いいようにされたあの時からは、随分と背が伸びていた。

「・・・・・・酷い顔だな、一騎」

人目も気にせずボロ泣きしていたといったところだろうか。

笑ってやったら何を勘違いしたのか、近づいてくる。

心臓が早鐘だった。

横に立たれて仕方なく視線をあげる。

「総士には会えなかったのか?」

小さな声でも十分に聞こえたようで、一騎は体を震わせる。

その通りだったようで・・・・・・。

「っていうか、普通あえないだろ?」

戦闘指揮官の権限がどこまでのものかは知らないけれど、ファフナー一機を失って、お咎めなしはありえないだろう・・・。

彼は今、どれだけ責められているのだろう。

自分に向けるだけでは収まらない嘲笑と皮肉を、そのまま隣の一騎に向かわせる。

それだって当然だ。

「戦争だって・・・わかってたのにな・・・・一騎は、わかってたか?」

 もし今このまま一騎が逃げ出すのなら、それでも良かった。追うつもりも無かった。

それでも、応えたのは一騎だった。

「わかってた」

思わず・・・肘置きを握っていた手の甲に力が入った。

かすれ声に明るさを取り戻すために、ため息をつくしかなかった。

「・・・わかってた?」

「総士が教えてくれた」

 本気で、一騎を殴りつけようかと。

力の入った足が震える。一体どこから教えてやろう。

「最初に気づかなきゃいけなかったんだ。・・・俺たち全員に、情報管理のチップが埋め込まれてた時点で・・・」

あっけにとられたような一騎が見えた。

それでも言葉は止まらなかった。

「ここにいる子供達、俺たち、勝手に戦うことが決まってた。大人が始めた戦争に、勝手に組み込まれてた。

迷うことすら許されないで、大人の道具にされた・・・。気づかなかった俺たちのほうが悪いって思うか?」

「違・・・う、これまでは楽園だったんだ。だから、それを取り戻しに・・・」

話している途中に口を挟まれて、もう少しで立ち上がるところだった。

なんとか・・・・・・こらえた。

大人たちに・・・・・俺たちが・・・・、取り戻してやるんだ!それか作られた子供達にっ

俺たちのときには間に合わない!!」

「っ勝てばいい!勝てる!!」

 俺の声に負けないように一騎が出した声だから、休憩室中に響いた。

どこか少し、必死に聞こえた。そしてそのまま続けられる。

「甲洋もファフナーに乗ればわかるっ!だから・・・」

必死なだけに、次に続く言葉がわかった。

「俺も総士と一緒に戦え・・・か?一騎」

ここまで低い声を出したのは久しぶりで、それだけ一騎に逆撫でされた。

腹が立つ。

揺さぶられて苦しい。

「戦えるはず無いだろ、一騎。俺たちは総士に殺されるのに・・・・・・・」

今の言葉は。

一騎にとってのタブーであったらしい。

胸倉を掴み挙げてくる一騎の手を見て、思う。

「いや、違うか・・・・」

それでもまだ、迷うところがあったらしく、甲洋の声をきっかけに、一騎の手は止まる。

「お前と総士に殺されるんだ」

口にした途端、一騎の力が緩み開放された。

わけがわからないといった感じで、こちらの顔を見つめてくる。

やっぱり、何もわかっていない。

「一騎が総士についていかなければっ、俺たちは戦わずにすんだかもしれない!」

「何だよ・・・それ・・・・」

「少なくともっ翔子は今日死なずにすんだ」

言いながら思い出した・・・・・・そしたら、声が少しはねた。

「何言って・・・ちゃんと説明しろっ!!」

 こちらの手を、遊ばせておく理由が消えた。一騎が逃げられないよう、捕まえる。

息がかかるまで顔を寄せた。

「どこまで総士に酔えば気が済むんだ?」

(向こう側の人間に・・・。いや、だからこそ憧れるのか?)

距離を買えずに訊ねる。

「お前、仲間の側にどう思われてるか、知ってるか?」

知るわけないと、怯え始めた声が返った。

 間髪いれずに返された返事に手を放す。

少し、距離を開ける必要があった。

「《仲間》だよ、一騎」

一騎が、きょとんとする。

俺だって《仲間》の印象は良いものだと思う。

これからだ。

「その《仲間》が、総士と、その背後の大人に簡単に従ったんだ。子供のっ・・・戦闘員の代表として」

・・・・・・一騎の。瞳孔が一気に押し広がったように、見えた。

「なんだよそれ・・・・・・そんなの・・・・・・」

「一騎は、大混乱の中で最初に悲鳴をあげるのと同じことをしたんだ。俺たちの群れの先頭に立って逃げ出した。

パニックを起こした全員が、お前にひっぱられて、お前が走っていった方向を追ったんだ。よくあるだろ?地震の時とかに

集団が一箇所の出口に集まって、将棋倒しで死んだり、逃げそびれる・・・アレと同じさ。俺たち全員、お前のせいで逃げられなくなった」

「そんなのっ俺のせいじゃない」

すがり付いてくるような一騎を突き放す。

「そうか?でも俺たちは、親や大人たちに向かっていくことだってできたはずだ。それでお前は何を選んだ?」

返される答えが今度もわかる。その通りに、一騎も言う。

「俺は・・・総士と戦うことを、確かに選んだ。でもそれは、俺自身の意思だ。他の奴は関係ないっっ」

本当に、予想通りで、だからこちらも感情を抑えるのがギリギリになるんだ。

「お前は、ずっと独りだと思ってるからそう言える」

 声が、総士に少し似たかもしれなかった。

「言ったろ?この狭い島の中で、俺たちは《仲間》なんだ。『《仲間》であるお前』が戦ったら、生まれなくてもいい

言葉や気持ち、そんなのが出てくるだろ?『《仲間》が戦ったから自分が逃げることは許されない』『一騎が戦ってる

のだから、皆同じだろう』『一騎が戦ってるんだから、お前達の息子や娘も戦え』・・・・・・ただの集団心理じゃないんだ。

ああ、・・・・弱い奴でも『自分でも出来る』とか思っちゃった奴もいたかもな」

 狙って言った言葉に対する一騎の反応が面白かった。

涙に濡れた目をさらに大きく開いて。

後ずさった。

だから追った。

「『俺たちの《仲間》』、みんな一騎に従ったよ。馬鹿だって思うか?・・・・・・戦争なんか嫌だって、戦いたくないって

全員で叫べば別の道も開けたかもしれないし、お前が行かなきゃ羽佐間は飛ばなかった。あったかもしれない分岐点すら、

皆見えなくなって・・・こんなところに落ち着いた」

 目を見開いた後だから、今度の一騎は転ぶかと思ったけれど

残念ながら一騎はそれ以上動こうとしなかった。

こちらも最悪だ。

羽佐間を好きだった気持ちより、一騎を恨む気持ちのほうが上回るなんて・・・・・・。





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