12.徹底的に


 カラの水槽を、一騎は見ていた。

水槽というかなんというか・・・元は、島のコアが入っていた容器なのだけれど。

正式にはどんな名で呼ばれているのか、一騎は知らない。

眺めながら、総士もずっと、ここで同じようにしてきたのだと思う。

自分以上に、何度も此処を訪ねてきたに違いない。

 コアが出たというのに、この部屋は暖い。

外とは違い、確かにここは時が止まっていた。

それらが合わさって、だんだんと頭の働きが鈍くなる。

たとえ島が、島の人々とともに全て吹き飛ばされたとしても、ここだけは傷一つ無く無事であるような

錯覚を覚えるまでに。

 そう、この大してまぶしくも無い赤い光が照らす、この部屋で

皆城総士は殺された。

それから、その前から、ここは少しも動いていない。

時は止まったままだ。



確かにそこには死体があった。

死んだことにさえ気づけない霊は、喪った体を捜して何度も戻る。

目は己の体より、容器の中身に奪われたまま。

そんなものばかり見続けて、捜し求める骸など、見つけられるはずがない。

やがて己の体を踏み台にして、容器の中身を見つめるようになる。

魂すら中身に奪われる。

 そう思うほど、一騎の中にどす黒いモノがこみ上げた。

(よくもっよくも殺してくれたっっ)

最後に

幼い総士はどんな悲鳴を上げただろうか。

誰にも届かず、ただこの赤い壁に吸われただけの悲鳴。

全てなかったことにされた。悲鳴は誰にも届かなかった。

その時自分は地上のどこかで笑っていた。

死人は小さく笑って地下へともぐる。

せめて生きている者は生かそうと。

地上で生きる人を守るために。

自分は犠牲に、自分が死んでも、人を・・・。

そう心から思うために殺された。

(・・・・・・ごめん・・・・・・)

 最近、無く回数が増えた。

特に張り詰めているわけでもないのに、ふとした隙をついて涙が下る。

総士とは、話せば分かり合えると思っていた。

けれど、わかったのは埋められないほど開いた差と、追加された負い目。

話そうとしてもいつも難なくかわされて、別の話題にそらされて。

いかにもそれが、正しい会話といわんばかりに持っていかれる。

話したいことは、そんなことではない。

話しているけれど、話していない。

けれど、仮に話されたとしても、たかだかパイロットの自分に何かしてやれることなど、ない。

逆はありえても、さらにその逆は無い。

傍にいることが救いになると総士は言ってくれたのだけれど、傍に立った瞬間に感じる無力感をわざわざ感じさせて

次の言葉を奪うためにそういったようにしか、思えない。

それほどに辛い。

わかりあえないことに対する罰のつもりで言ったのかと錯覚するほど・・・・。



*** *** *** *** ***



「何をしている」

気配無く背からかけられた言葉に、大きく肩がはねる。

ずっと声の主のことしか考えていなかったから尚更・・・。

「わからない・・・な。多分・・・なんとなく・・・・」

「こちらとしても、お前を《管理システム》で探したくは無い」

一言一言にゾッとして、自分がどれだけ彼に弱いかを思い知る。

「・・・・・・かけた、のか?」

総士を振り返らなかった。

総士も、並んで立とうとはしなかった。

だから、今の総士がどんな姿をして、どんな表情をしているのかわからない。

「いや、僕は・・・」

「総士は?」

「僕は、ただここに来ただけだ。そうしたら、お前がいた」

切なさが騒いで体が震える。

思ったとおりだ。

「やっぱり・・・探してるんだ」

 

 

総士からしてみれば、不思議な言葉だった。

聞き返してしまうほど。

「何?」

聞き返しても、一騎は応えない。

それどころか、訊ね返したことがさもい具合の悪いことであるかのように、そのまま俯いてしまう。

「最近、おかしいぞ」

 先日、泣きつかれたばかりだった。

いくら気になっても、それ以上一騎の深くに踏み込める言葉を、総士は知らなかった。

言葉をしらず、悪循環とわかっていながらも黙ってしまう。

沈黙が続くはずだった。

一騎さえ勇気をしぼりださなければ、何も問題など起こらなかったはずなのに。

なのに、

そのことばかり考えていたから、つい・・・・・・。

「総士は死にたくなかったのに・・・・・・ごめん」

はずみで振り返った先に、動揺に負けた総士の顔があった。

「何・・・言って・・・一騎?」

微笑みたくても作れない、そんな止まった表情。

少し青ざめているような感じだった。

きっと、図星をさされたからだろうと、勝手に推測する。

 さらに続けようとしたとき、フェストゥム襲来のサイレンが響いた。

「一騎!!」

全てを無かったことにした総士が名を叫んできた。

都合よく逃げた総士に舌打ちする。

総士を追及するだけの時間はなかった。

いつものように、せめて体だけは壊させないと誓う間しか。



*** *** *** *** ***



 敵の一撃がキールブロックを掠めたなんて、戦闘中のパイロットには伝えられない。

仮に、もっと深刻な状況に陥ったとしても沈黙は守られるだろう。

だから、都合よく感じた《嫌な感じ》に感謝する。

無事格納されて、コクピットのハッチが開いた瞬間に訊ねたのだ。

「総士は?」

上で待ち受けていた容子が笑って応える。

「何も無かったわ」

 本当に何も無かったのなら、そんな風には言わない。

容子を突き飛ばして走った。

一瞬気になり振り返ったけれど、上手く転んだように見えた。

安心して、前を向き直る。

 バーンツヴェックに乗り込む階段を駆け下りようとしたときと同じタイミングで、丁度彼も階段を駆け上がってきた。

鉢合わせの刹那だった。

体の力の全てが抜けた。

彼もまた、同じなようだった。

「あ・・・せ・・・」

急な不安にノドがはりついて、声が上手く出ない。

一度、ありもしない唾を飲み込んだ。

「汗・・・・・苦しいから出てるんじゃ・・・・・・ないんだよな」

肩で大きく息をしている総士が、顔をあげる。

そして笑う。

「ここまで長い距離を久しぶりに走った」

「疲れ・・・た?」

「元気ではない・・・な。この階段に止めを刺さ・・・」

 総士の声を聞くうちに、我慢が出来なくなった。

声よりも何よりも総士を抱きしめたくて、残った腕の力を全て使って総士にしがみついた。

顔を胸に押し付けると、体温と、鼓動が伝わってくる。

心臓は、少しはやかった。

「一騎・・・。外壁が少し抉れただけだ。地上じゃよくあることだろう?」

・・・なんでもないと告げてくる言葉が、既に死んでいた。

別の震えが平常心を揺さぶった。

「怖く・・・なかったのか?」

総士の顔をとても直視できず、床と、総士の靴先だけを見ながら言った。

「一騎が守ってくれただろう?大丈夫だ」

やけに明るい声がする。

死が目前にまで迫ったのに、何も感じることの無かったらしいヒトの声。

本当にヒトの声なのだろうか。

まるで内側から何かに食い潰されていってしまったかのような。

昔知っていた大好きな彼とはまるで別物。

不思議な・・・当然の違和感。

変わってしまった。

 急に顔を押し付けていた相手を突き放したい衝動に駆られた。

湧き上がった恐怖に成すすべも無く従えば、それは対象を拒絶したいという欲求だ。

けれど突き放してしまえば、彼が欠片も残らなくなってしまうような・・・そんな不安に、

現状維持したい願ったことも確かで・・・。

 だから、こんなにも震えるのに、手を放すことが出来ない。

 震え始めた一騎に、総士もまた慌てた。

「僕はちゃんと生きているだろう?」

しがみ付いてきた一騎の背に、そっと腕をまわす。

その一騎の動きは総士がたった今、口にしたばかりのタブーと連動していることなど気づけやしない。

同時に零れた一騎の呟きがあまりに小さく取りこぼした。

それは一騎の発音が不明瞭だったことにも一因がある。

それにも気づけず。

無意識のうちに、認めることを拒絶していたから気づけないで。

せめて続けられる言葉だけでも聞き取ろうと、口元に耳を寄せる。

張り詰めたこの場に救いがあるとしたら、一騎の言葉以外にありえなかった。

・・・・・・聞こえた言葉が信じられない。

「痛かったろ?総士は・・・死にたくなかったのに・・・ごめんな」

 同じ言葉を繰り返された。

さっきはフェストゥム襲来のサイレンが鳴ったことで助かったとさえ思ったのに

こうして一騎を抱き締めてしまえば、向かい合わなければならない。

こんなにも見たくないのに。

壊れかけたモノを胸に、こちらまで巻き込まれて崩壊しそうな・・・。

感じていたのは、喪失の恐怖だ。

 耐えて、間違えられない言葉を必死で選ぶ。

「・・・ジークフリードシステムも、その中の僕も、無事だ」

そこまでして出した言葉も、届かなければ風と同じだ。

「とっくに駄目だった・・・守れなかった・・・ごめん」

「じゃあ、今一騎を抱いて、話しかけてる俺は何だ?」

顔を、笑みに作る。

一騎の背に回していた腕をいったん解いて、一騎の両頬に片手ずつ手を添えた。

《ちゃんと見ろ》と一騎の視線を固定させる。

「何・・・やってたんだろうな・・・俺・・・。総士が死ぬ前、傍にいたくせに・・・・」

一騎の目からの大粒の涙が総士の手にしみていく。

「お前の叫び声とか全部無視して・・・俺は・・・」

「しっかりしろっ一騎っっ」

 総士の荒げられた声に、大半の整備士が振り返った。

焦ってはならないと思うのに、一騎の頬を支えた手の震えは止まらない。

「ごめんなっごめんなっごめんなっ」

数度の悲鳴があがった。

整備士の一人が駆けつけて、一騎を引き剥がそうとしたからだ、

届かなくなる間際に、一騎の手が総士の頬に伸びる。

互いの目があった。

一騎は、かつての総士を喪ったことが悲しくて泣いて。

総士は、一騎の目を狂ったと感じた。

一騎を喪ったと。

その、一騎の唇が動く。

「これは・・・・・総士じゃない」

一騎の目にも、壊れきった総士の姿がうつった。



自分よりずっと大切だったにんげんが、もういない。



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