8、泣き喚く




  悲鳴は上げなかった。

潰された目をこじ開けるのに必死だった。 一騎の舌が眼球をなぞり上げた後、容赦なく押しつぶそうと乗り上げてくる一騎を突き放すのに必死だった。

恐らく、自分の左手は一騎の顎を、右手は一騎のどちらかの手首を抑えている。

そこで一度止まった。

「何で・・・・・一騎・・・・。お前・・・・・」

渾身の力を込めて開こうとした目は、僅かにも動かなかった。

逆に痛みを増して、さらにきつく閉じてしまう。

震える声を続けようとしたとき、傷口に一気に圧力がかかった。

「やめっ・・・・・」

脳は、開いた傷の真上から思いきり掴まれたと判断した。

首の乾いていたはずの場所まで濡れ始め、傷は大きく脈打ち始めた。

反射的に、乗り上げてきた一騎を蹴り飛ばした。

  一騎の落ちた音がする。

(この目では無理だっっ)

一騎をベッドから蹴落とした隙に跳ね起き、受話器を探す。

  逃げ切れないと思った。

(確か直前はCDCとっ)

取って、ボタンを探った。

体の変調を感じたのはこの時。

腹部に走った鈍痛と共に息が詰まって倒れこんだ。

目的のボタンを押せたかわからない。

感覚として、落ちたのはソファーの上だ。

また一騎に乗り上げられて、同じ場所を物凄い力で握られる。

「目がっ目が見えないんだっ!!放してくれっ」

語尾が叫びに変わる。

もがく度に自分の首と、一騎の手とが擦れ、水音がたった。

それが、ふとした拍子に離れる。

強い痺れに呻く。

呆けていた。

同じ日に、同じ箇所に、白い歯が埋まるのを許した。

「見えないっ見えないんだっ・・・・一騎っ!!」

痛いとも叫べないで、見えないとだけ繰り返す。

真っ白になった頭の中で、残った言葉はそれだけだった。

その言葉しか現れない。

一騎を止められる言葉が出てこない。

けれど名前を呼んだ。

言葉もかけた。

それなら、今、上にいるのは一騎ではないのだろうか。

何か別の・・・・・・。

疑った瞬間、恐怖が爆発した。

「っあっぁぁあああああっっ」

一騎の髪を根元から引き掴んだ。

渾身の力を込めて引く。

引けば引くほど首も痛んだけれど、もう構えない。

それでも離れない一騎の頭を、拳や肘で何度も殴った。

髪を引く腕が大きく震えた。

嫌な音と共に、手ごたえを喪った腕が、空をかいた。

髪を引いていた手が離れると、再び首に異物が入り込んだ。

だからまた殴った。

なんとしても引き剥がして、一騎から少しでも離れたかった。

肘が曲がりきったままに、

手が拳の形で固まり果てるまで、何度も。

殴り続けた何度目かに、手が濡れた。

手から感覚が走って、辿り着いたときの動揺は大きい。

同時に一騎の力が抜けて、自由になりかけたことも明らかに心をどよめかせた。

  死に物狂いで走った。

突き飛ばして立ち上がってすぐに、足に硬いものが絡んだせいで倒れこんだ。

全力で蹴り飛ばして初めて、机であることに気づいた。

せっかく得た自由を喪う想像に、体が勝手に動いて外に転がり出る。

  廊下は。

潰れた目が痛むほど明るかった。

叫びながら実を翻してドアロックに縋りつき、叩きつけるようにコードを入れた。

ロックの作動音を何より求め、聞こえた瞬間全身から力が抜けた。

足が勝手にうごいて、ヨロヨロと壁にぶつかった。

そのまま床にへたり落ちる。

首の痛みは激しかったけれど、ようやく訪れてくれた安心のおかげだろうか。

ずっと閉じたままであった目が開いた。

目やにの詰まった病み上がりのような目をこじ開ける。

  目は一瞬景色を白く濁らせて、けれどすぐに何の変哲もない廊下を映し出した。

呼吸にまではとても気を回せず、弾ませながら、焦点をあわせるのに使った廊下の奥から、

閉まった自室の扉を眺めやる。

何かを封じ込めた扉は、誇らしげにその任をまっとうしていた。

・・・・・・ふと、曲がったまま動かない手が気になった。

握り締めた手が動かないのは、己の握力のせいでも、慣れないことをしたせいでもないのだから余計に。

動かないのは、手がしっかりと握り締めているもののせいだ。

それは、握った中身を見せまいと固まり始めた血が接着剤のように指を固めていた・・・・そのせいだった。

冷め切った血が、まだ相手の、総士の心を守ろうとするかのように、拳を開かせまいとしていた。

  そんなことは、知らない。

無理に力を入れて手を開くと、粘着性のある音をたてて、開いた。

・・・指の隙間を、血で固まった黒髪の束が落ちていった。

指に絡んで残っているものもある・・・。

いきなり両手を顔に押し当てた。

泣く用意は整っていた。

叫ぶだけの気力もあった。

泣き叫べたら、どれだけ楽か・・・・。

けれど自分にはまだ・・・・。

「一・・・・騎」

手から顔を上げる。

自室の扉は、主人からの最後の命を守り続けている。

”決して開くな”と

声にできなかった叫びを守っている。

「一騎?」

ドアに移した視線を手に戻す。

もう一度、手を見る。

手は、怪我をしていないはずなのに赤い。

指が折れたように痛む。

「一騎っ!!」

扉に縋りついて。

ドアロックの解除コードを打ち込もうとして、血で指が滑った。

胸で拭いて、入れ直す。

「か・・・・ず・・・・」

  ドアが開いて、廊下の光で室内が照らされた。

部屋明かりをつける・・・・。

スイッチは押したはずなのに、部屋は明るくならなかった。

めまいがして、膝をつく。

視線の会う位置に一騎はいた。

ずっと泣き喚いていたのか、ぐちゃぐちゃの顔だったのと。

鼻血で、鼻から下が真っ赤になっているのがかろうじて見える。

一度も、拭こうとはしなかったようだ。

「・・・・・・ソウシ」

いつもの声で呼びかけてくるから、返事を返してやらなければならない。

でないとまた、寂しがる。

「・・・か・・・・・・・・き・・」

それなのに、こちらはどうしても上手くしゃべることができない。

言いたい言葉はたくさんあるのに、口が動いてくれない。

半開きのまま止まってしまった。

仕方なく、出しっぱなしにされている鼻血に、手を伸ばす。

”無事でよかった。もっと酷い怪我をさせてしまったのかと心配した。・・・・ごめん、はやく手当てをしよう?

はやく、遠見先生のところへ・・・・”

  目は開いているはずなのに、黒い粒で視界が埋まっていく。

真っ暗であるはずなのに、チラついているようにも見える。

一騎の手をとって、立ち上がろうとして、

そのまま一騎の腹に顔を埋めるような体勢で転んだ。

倒れた瞬間、首が千切れたように痛んだのは覚えている。

「ソウシ・・・・」

指一本動かせなくなった木偶の坊の体が、抱き寄せられたような気がした・・・・・。



*******  ******  *******  *******



”ほぉ〜ら一騎、総士が行くぞ〜、ついて来い ”

どこまで理解していたのか、一騎は総士が担架に乗せられている間、溝口に捕まったまま大人しくしていた。

スタッフが歩き出すと、溝口の腕の力は緩み、抜け出した一騎は、ぴったりと総士につく。

「もっと大捕り物になると思ったんだがなぁ・・・・」

だからこそ、溝口が駆けつけた。

「俺の来た意味、無かったなぁ・・・・」

こぼす愚痴に、あてがわれたベッドから体を起こした総士が笑う。

新しく巻いた包帯も、少しずつ赤が滲み出していた。

「一騎の野郎も、よぉっく寝てるしなぁ・・・」

その総士の足元に、身を投げ出すようにして一騎は眠っていた。

「こうやって、僕のことを守ろうとしてくれてるんですよ、一騎は。」

「噛むことで・・・か?」

「噛むと、安心するじゃないですか」

「そぉかぁ?」

「”噛む”だけはファフナーのできない動きですから」

「てぇと?」

「"噛む”のは彼の主張です。きっと、一騎が一騎としていることを、言葉が使えないなりに僕に教えようとしてくれてたんでしょう。

僕の扱うのが得意な戦力がここにあるのではないと、叫ぶ代わりに噛んだ・・・・」








「そこまでして守って貰えるんです。僕も彼に返さないと・・・・・」

そういいながら総士は、涙を浮かべて笑いながら、赤くなりつつある首を、もう一度一騎に差し出した。

慌てて溝口がベッドに押さえつけると、浮かんだ涙が頬に落ちる。

その気配に、一騎が顔を上げ、総士に顔を寄せた。

総士は泣きながら両手を伸ばし、一騎を呼んだ。



「・・・・・・・カズキ」



END



戻る