それは目の眩むような


 雲がほんのり赤く染まった。

夜が明けたのかと一時思った。

闇夜に紛れて砂漠の姫を送り届けようとしたが、どうやら間に合わなかったようだ。

誰にも知られないように部屋に戻るのは難しいかもしれないと。

けれど出来る限り貴女を隠すことに努力しようと。

そう伝えようと視線を送った。

黒い睫毛が不安そうに瞬く。明け方の冷え込みに凍えるように、震えていた。

その姿を見たとき、彼女が安心するような言葉を何かを言いたかった。

何も言えなかった。

言葉が、思いつかなかった。

人の心を癒すような言葉など、とっくに忘れてしまっていた。

『大丈夫だ』

それだけ言おうとした時。

視界の端の色が変わった。 

有り得ないほどのはやさで。

それは異常。

空の淡い赤が薔薇色。

薔薇が、瞬く間に炉の色。

瞬く間に濃く、鮮やかに。

警戒する。何が待ち受けていても良いように。

隣に座る女性だけは、守るつもりでいた。

雲の明るさの意味がわからなかった。

「わからないもの」は危険だった。

そう教え込まれてきた。

幼い頃からずっと。

雲が割れる。

真っ赤な嵐と化した雲が裂ける。

眼下に。

燃えたアザディスタン。

彼女の故国がまさに赤々と燃える炉の中にあった。

「なっ」

 ぐらつく。手にしていた操縦桿の感覚が消えかける。

まさかそんな、何故。

身を乗り出して凝視する彼女の動きが視界の端に入る。

彼女の白に、我にかえる。

真っ赤。赤。悪魔の色。

テロか?

動揺のあまり浮かんだ考えをすぐさま打ち消す。

「この規模、テロなんかじゃ……」

警戒する。

原因を探る。

この炎の原因から逃れなければ。

もし近くにそれがあった場合、彼女を逃がさなければ。

(安全な場所はっ……)

 咄嗟に刹那は視線を走らせていた。

呆然としている彼女に構っている暇など無かった。

その時、警告アラート

(敵?!)

 警戒する。

「わからないもの」が近くにいた。

それは疑う前に殺さなければならないものだった。

モニターにそれが映される。

それは。

見たことがあった。

「あれは……ガンダム」

そして追加される情報。記憶。

「しかも……あの色は……」

 喘ぐ。息が出来ない。記憶が毒を運んでくる。目前に突きつけられて、苦しい。

息を吸う。毒ごと呑む。理解する。

「まさか!!」

確信した叫び。

その通りだと相手が肯定した気がした。

その瞬間自分が消えそうになる。

あれは、敵だ。

あれは、仇だ。

(だがっ)

奮う。

兵士として訓練された、その役目を果たす。







「やめて刹那戻って」

悲鳴と懇願を無視し操縦桿をきった。

身を翻す。

口をきく余裕は無い。

逃げ切れるか、追いつかれるか、それだけが問題だった。

彼女は生きているだけで十分彼の標的に成り得た。

自分が知られたとしても、彼女を知られる訳には行かなかった。

彼女は隠さなければならなかった。

瞬く間に人を殺して見せる彼の標的。

それほど恐ろしいことは無かった。

(捕捉されているっ)

何よりの恐怖だった。

彼女に命を約束したかった。

それなのに彼が敵だった。

約束は絶望的だった。

発狂しそうなほどの圧迫。

守りたかった。

守り通そうとした。

意地のように飛び続けた。

ろくに武器を持たないこの船で。

唯一の手段として「逃走」。







幻。

雲が防壁に思える。

潜り込む。

フィールドを展開する。

視覚からもレーダーからも逃れるために。

安堵が出来ない。

動悸が収まらない。

いつ目の前に奴が飛び出してくるか。

あのガンダムの銃口がこの船に向けられるか。

(馬鹿なっ……何故ッ)

唇を噛み締める。

飛び続ける。

雲を抜ける。

出た瞬間に撃ち落されるのではと歯を喰いしばる。

不安に意志で打ち勝つ。

抜ける。

何も無い。

誰もいない。

機影も。

追手の気配も。

CBのガンダムに載せられているのと同じレーダー。

それが反応しない。

何よりこの自分が、追手を感じない。

(追われなかった……)

 安心は早すぎる。

けれど声が聞こえた。泣き声。

「マリナ……」

隣で、守ろうとした人が泣いていた。

戦慄く肩。細い指をした手で、顔を覆っていた。

「私はっ……刹那私はっ……」

生きていた。彼女をサーシェスから、逃すことが出来た。

ほっとする。

「アザディスタンで死んでも良かった!!」

否定する悲鳴。

言葉が思いつかなかった。

何か言えれば良かった。

思いつかなかった。

だから、一つだけ。

譲れないものだけ。

他に思いつかなかった。

彼女の顔が歪むと知っていて、言った。

「駄目だ」







他のマイスターと合流する為に飛び続けた。

今となってはそこが一番安全な場所だった。

そこに逃がす。

 本物の朝日が眩しかった。

モニターに射しこんでくる光に目を細める。

痛かった。

出来るものなら自分もあの砂漠の国に戻りたかった。

(そうか……ロックオン、お前は……ただ死んだのか)

毒を運んだ記憶が名残惜しげに笑う。

寂しげな顔で。

鮮明だった記憶が優しい色を取り戻していく。

戻って……戦いたかった。

今度こそサーシェスを。

彼の代わりに。

殺したかった。

戦いたかった。

でも。

隣には、マリナがいた。









過去が戦ってくれと囁いたような気がした。

過去を言い訳に戦いたかった。



















それは目の眩むような誘惑。

END