介入4


絞めあげられた。

 バタバタと大きな音に振り返った時にはすでに遅く、黒い肉塊が目前に迫っていた。コンマ何秒後かにはそれがアレルヤだと気づいたが手遅れで、鉄板のような胸筋に鼻の骨がへし折れるほどの勢いで押しつけられていた。熱すぎる体と相当の勢いでバクバク動くアレルヤの心臓の音。回された腕も押さえつけられた胸板も何もかも痒く感じて、刹那は暴れた。

「俺に触れるな!」

 必死の叫びが「もれりむれうあ!」になる。全身の筋肉を使ってアレルヤの腕から逃れようとするも、頭ひとつアレルヤの腕から抜け出せない。

「ああごめん、殺すつもりはなかったんだ」

 数十秒後にやっと解放されて、ぐしゃぐしゃになった髪と一緒に圧迫された末に違和感すら感じ始めた顔面をブルブル振るう。

 で、何があったのか。野良猫であれば脱兎のごとく逃げ出していたタイミングを刹那は踏みとどまり、まだどこか落ち着きのないアレルヤ・ハプティズムを見上げる。

 無言のうちに先を促されていることに気付いたアレルヤが、一層慌てて口の開け閉めを無意味に繰り返した後、大きなため息をついた。

 どうやら勝手に落ち着いたようだ……と、刹那はそんなアレルヤを観察した。

落ち着いたのなら問題は無い。部屋に戻ろうと床を蹴って体を宙に浮かせ、アレルヤとすれ違おうとした……ところを、足首を掴まれ引き戻される。

 これには流石にうんざりして巨漢を睨む。

「何だ」

 移動用のレバーと床との中間地点で引き戻され、しかも途中で手を放された為、中途半端な姿勢で空中を浮かぶ。

「ああ、ごめん、ほんとうにごめん」

 本当に悪いと思っています。そんなしおらしい感じで刹那の両肩をアレルヤは抑え、床へと沈める。しおらしさとは無縁のがっしりとした腕で。

「何の用だと聞いている」

 ため息をつく余裕もなく、むしろ剛腕に若干の恐怖も感じつつ、ただでさえ大きな目を一際大きくしアレルヤを睨む。睨むようにして頭の先から足の先まで一挙一動を見逃すまいと観察した。

「えっと……あの……」

 何かを隠しているのはわかる。言い辛そうにしている。そしてそれを、謝罪しようとしている。こちらを悪いようにはしない。

 それぐらいが一瞬で見て取れた。

「もういい」

 わかればもう、アレルヤに用は無い。アレルヤには特に何かをされた覚えはないし、向こうが勝手に謝罪をするのもおかしな話。アレルヤがここに来たということは、アレルヤの中では「その事」に決着がついたからで、刹那には関係が無い。

「えっと……悪かったよ、刹那」

 睨まれた手前、もう一度足を掴んで引き戻そうとは流石にしない。ただ、このまま置いていくのも悪い気がして、擦れ違い様に一瞬だけアレルヤを見やり、小さく頷いた。了解した、と。

 レバーに向かって手を伸ばす。

「おいガキぃ……」

 漂った気配の違いに思わず振り返った。

 その時既に顔面寸前まで近づいていた真っ赤な林檎。辛うじて鼻先で受け取る。

「あげるよ、それ」

 顔の前から林檎を除けた先に、どこか力の抜けたように笑うアレルヤの姿があった。黙って受け取って欲しい。急な雰囲気の変化に、おずおずと頷く。

「上手くなったね、操縦」

 アレルヤをじっと見つめた。彼が何を言いたいのか、よくわからない。

「ありがとう」

 林檎、褒められたこと、わざわざ謝罪に来たこと。何かを悪いと思ってくれたこと。そのあたりをまとめて、礼を言っておこうと思った。

 掴んだレバーが自動で動き出す。体が一気に、アレルヤから離れた。





*****     *****     *****





 物を食う時は座るか部屋か食堂で食え。

 口を酸っぱくして刷り込まれた言葉に従い、刹那は食堂に向かう。地上で穏やかに過ごせる時間はしばらく無さそうで、宇宙食でない地上物の林檎は貴重だった。いつ無くなってしまうかわからないものを大事に取っておくつもりなど毛頭なく、腹の辺りで軽く表面を拭いた後、口元へ持っていく。

「食堂まで来たのなら、座ったらどうだ?」

 突然かけられた声に視線を向ける。あと数センチで?り付けた林檎から残念そうに視線を外し、最初からそこにいたらしいティエリアに目を向ける。貰った林檎を取られないよう、固く握りしめた。

「お前はまだ食べていなかっ……」

 空腹状態では訓練の結果にも差しさわりが出るだろうと言おうとした矢先、目の前に飲料水用のボトルが放り投げられる。

 林檎を持っていない方の手で受けた。迷わず口をつける。

「……ミルク?」

 中身を確認する。自信に充ち溢れたティエリアの声。

「好きだろう?」

 別に好きではない、と言おうとして止めた。好きだから「お前の為に」という善意が心地よかったのと、厚意というものを、単純に受け取ってみたかった。

「お前は好きじゃないのか?」

 単純に聞き返した。深い意味は無く、好きであったのなら今度はティエリアに持っていこうと考えた。厚意として。その、表現の一端として。

「どちらでもない。ただ飲むだけだ」

 迷う。これは、渡しても良いということなのだろうか。

「嫌いでは無いのか?」

 僅かな影ですら見落とさないように、ティエリアの顔を凝視する。艦内の照明をメガネのフレームが反射して白く光っていた。

その奥で、ティエリアの瞳が微笑む。赤い瞳が揺らぐ。表情は変わらなかった。だがそれだけで、優しいと感じた。

「何にせよ、それは君のために用意したものだ。刹那、君が飲んでいい」

 ロックオンのような緑の瞳や、アレルヤのような灰色の瞳は、母国でもよく見かけた。茶や黒が主な色だったが、血が混ざり合ううちに、色々な色ができて広まったようだった。その目まぐるしい色の中でも、ティエリアのような赤は無かった。陽の光からもかけ離れたような赤は、温かみなど無いように思えたが、今は特に、柔らかい。

「了解した」

 そんな目もするのかと、口には出さずに思う。せっかくの温かい目が冷え切らないよう、席に着き、ストローを口に咥えた。一口飲んで、林檎に口をつける。飲みこんだら、またミルクを一口。

 その間ずっとティエリアの視線を背中に感じる。

(行動には理由がある)

 かつての師の教えに従って、考えを巡らす。また林檎をかじる。ティエリアの視線を感じる。

 師の教えを、置き去りにする。

(林檎を、俺にくれた。何の代わりに?)

 林檎は、美味かった。ミルクも。食べ物の味がした。

 過去を思い返した。

 物を貰える時、それは謝罪だった。人の心に最後に残る、何か大事なものの塊だった。その代わりに、物が差し出された。物が無ければ食べ物になった。食べ物が無ければ水になった。水さえなくなってしまった時は注意しなければならない。相手自身が差し出されてしまっては、手遅れだ。

そういう時に繋がるような物は、完全に受け取りきらなければならない。

 それは。

 かつて、自分で決めたことだった。

「芯まで食べるのか?!」

 驚愕の声に振り返れば、刹那を止めようと片腕を差し出しながら、ティエリアが硬直している。メガネのフレームが鼻のラインからずれていた。

そんな面白い姿になったティエリアを観察しながら、茶色い種と黄緑の芯を同時に噛み潰す。

 小首を捻る。自分がコーラという飲み物を知らなかったように、ティエリアも林檎を知らない可能性にいきあたる。

「全部食べれる」

 教えながら、噛み続ける。種独特の苦み。芯を全て口に入れる。茶色い茎も噛む。ただし、これだけは噛みちぎれないで、柔らかくなるまで噛んで飲み込む。歯の周りについた種の破片を洗うために、一口分残しておいたミルクをたっぷり口に含む。ブクブクと口を濯いで、出さずに飲み込む。

「美味かった」

 席を立つ。

 硬直したティエリアの脇を通り抜ける。

「ありがとう」

 擦れ違いざま、礼を言った。

 ティエリアは硬直したままだ。





*****     *****     *****





「種まで食ったって?」

 トレーニングルームで腹の辺りを鍛えていた時、ロックオンが愉快そうに入ってきた。

「ティエリア・アーデ?」

「ああ。言いつけられた。大丈夫か刹那、腹壊さないか?」

「別に」

 かつて島に偽装した基地で、食べ途中の林檎を取り上げられたことを思い出した。種まで食べるものじゃないと、ロックオンは笑って茂みの中に捨てた。ロックオンがいなくなった後、拾って食べた。

「ま、お前さんが一番頑丈そうな中身してるよ」

 ひとしきりヘラヘラした後、身近な器具を使ってトレーニングを始めるロックオン。しばらく、器具の音と互いの呼吸音だけが聞こえた。一定のリズムで。

 片方が止まるのに、そう時間はかからなかった。

「なあ刹那」

 呼ばれて、腹筋を止める。98回。回数を記憶する。頭の中で数を復唱しながら、突然声をかけてきたロックオンを見た。

「シミュレーション訓練で、エクシアと組んだ」

 腹筋を再開する。150回が1セットだ。

「データのお前が墜ちた」

「成功していた」

「見たのか?結果」

 頷いた弾みに汗が膝に落ちた。口をきいて、リズムを乱したくない。

「俺もよくデュナメスを落とす」

 それ以上言う必要はなかった。

コックピットから引きずり出された刹那が、弄り殺しにされているのを傍観していたことは伝えられなかった。

「リアルだったよ」

 さも苦しいことであったかのように、ロックオンが続ける。腹筋が83回行われた時間で、たったこれでけしか話さなかった。

 450回を終え、背筋のトレーニングに入ろうとした時、ロックオンが口を開いた。

「刹那もちゃんとクリアしたみたいだな」

 携帯端末を片手に。角度が悪く、何を映しているのかわからなかったが、恐らくはシミュレーション訓練の結果だった。

「ロックオン、トレーニングをするなら……」

 邪魔されているのではないとわかった。ずっと見つめられていたから。

それでも、ロックオン本人のトレーニングも本来ならしなくてはならない筈だった。気遣われているのは嫌ではなかったのだけれど。

「わかってる、集中するよ」

 手を振るロックオンに頷く。

 今、恐らく大切にされているのだろう。感じている居心地の良さの理由を、そうだと決めた。アレルヤやティエリア、ロックオンに。返せるものが何もなかった。

「悪かった」

 トレーニングメニューをこなした頃、黙々と自分の分をチャレンジ中のロックオンに謝られた。

 謝らなくていいと、言おうとして止めた。

 頷いた。





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 思い出したように報告書を作った。

 シミュレーション訓練内で感じた疑問をそのまま書きつづった。

 今となっては、仲間相手の戦いに縺れ込む可能性は極めて低いだろう。それなのに何故、仲間の機体を相手に、剣を振りかざす必要があったのか。

 訓練だから、行うのか。

 実際であれば、行わないのか。

 状況と相手を確認した瞬間、全てにおいて、やる気がうせた。訓練だからと言ってこなす必要はない。訓練だからといって、仲間の生身をダガーで貫く理由は無い。

 数秒の気味悪さと訓練に失敗した真っ赤な光の中、元通りのエクシアのコックピットの中で膝を抱えた。

 ヴァーチェにもデュナメスにも、殺され慣れている。逆に、墜としたこともある。

 顔を上げた。エクシアを起こす。正規に。

「ヴェーダからのリンクを完全解除」

 これ以上、ヴェーダを信じる理由は無かった。

 エクシアに指示した。機体の識別サインすらヴェーダ内から消去した。これでうっかり宇宙を漂流しようものなら、仲間に発見されることすらなくなる。

 それでも良かった。そんなに遠くに自分が行くとは思えなかった。必ず帰る。戻らない時など無い。そんなことは、しない。

 エクシアのメインディスプレイが、全作業を完了したと示した。





END