「趣味の悪い訓練だ」
GNライフルのスコープを戻した時、後ろを振り返らない。
それほど余裕がない、という以上に、背後の若い青い機体は救いようがない。
ハイエナに群がられている子牛のイメージだ。
周囲の様子を忌々しく感じながらも、ロックオンは何処か安堵する。
今はヴェーダによる訓練中であり、この現実は非現実であり、本物のエクシアのパイロットは今頃待機室か何処かで呑気に水でも飲んでいる筈だった。
この現状とはかけ離れた、安全な場所で。
となると、このような映像をわざわざ作る目的は。
(俺の様子見か……)
何処まで落ち着いていられるかという。
何処まで指示に従えるかという。
「従ってやろうじゃねぇの、なぁハロ」
訓練用のハロは口を利かない。
ロックオンを見上げるように静止するハロを見つめ返し頷く。
そう、今だけ従い、これまでのように高得点で訓練を終え、こんな無駄な訓練は今更必要ないとヴェーダに突き出す。
「その為にもさぁ……」
弄り殺されるエクシアを見捨てる。
気分が悪い。恐ろしく悪い。
何故こんな真似をさせるのか、理由は何かを見越した筈のヴェーダだけが知っている。
次々と襲いかかってくるフラッグやイナクトを撃ち抜く。
エクシアはもういないので、彼らを散らしてはくれない。
だから迫ってくる。彼らが。
データが。
(嫌になるぜ……)
狙いの中に入りもしないフラッグに対して呟く。データの。
それらを通じて、ヴェーダへ。
もはやこのようなシミュレーションが必要ないこと。軽い言葉を使ってしまえば、それだけ自分たちは仲が良いということ。
これがシミュレーションと自覚していなければ、間違いなく不利とわかってもエクシアを救いに行っているということ。
だから、このようなシミュレーションに意味は無い。
反射的に感情を押し殺して撃ち続ける。シミュレーションなどどうでも良いほど、もはや実戦を積んでいる。シミュレーションは、ゲームだ。安全な。勘を鈍らせないだけの。勘が鈍る暇など無いほど実戦を積んでいる。ロックオンに、ゲームは本当に、どうでも良かった。
ヴェーダの作る、エクシアの崩壊音。砕ける音。
それでも振り返らない。
歯を食いしばって、速度と驚異の上がる的を撃ち抜き、やがては腰のビームサーベルを抜き放つ。
ヴェーダの作る世界は本当にリアルで、反射的に暑くなり、汗が滴る。喉が渇く。
エクシアの断末魔に体中が震え上がる。
行けばこちらの機体が砕かれる程、敵の群れと狙いはデュナメスにも集中している。
どうしたってエクシアは助からない。それはわかっていた。操縦桿を握る手と腕が震えを超えて激しく痙攣していた。このまま敵へと突き進もうという力と、エクシアの元に戻ろうという力が拮抗して、切迫して。
「趣味の悪い訓練だ」
繰り返し、言った。
訓練だと思い出す為に。ヴェーダは恐らく、この汗の量と震えまでも記録して、採点している。気味が悪いほど冷静に。
ひたすら撃った。火花は散った。片腕も跳ね跳んでいき、破片の一つがカメラにぶつかり傷をつけて消えた。見えにくくなった世界。デュナメスのシステムが勝手に対応しカメラが切り替わる。視界が回復する。
ビームサーベルを腰に戻し、撃った。敵影は消えた。リアルで敵が攻め続ける限りは、シミュレーションなど二度とするまいと誓う。
敵がいなくなった。静かだった。
大きく息をつき、目を閉じ、バイザーを上げて顔を両手で覆った。あのようなエクシアの声など、聞きたくなかった。一度も聞かないつもりでこれまでやってきたのに、こんなどうでもよいことで聞く羽目になるとは思わなかった。
顔を覆う。両手で。
その瞬間、世界が切り替わったことに気付けない。
どこか遠くでイノベイドの少年が嗤う。
顔から手を放した時、もうシミュレーションは終わり、ロックオンは灰色のコックピットに一人座っているはずだった。
それが、常日頃のタイミングだ。
訓練の終了に合わせて顔を手で覆い、電源とリアルの世界が復活すると同時に手を放した筈だった。この後にやるのは訓練の検証だ。
気持ちの悪さを手を放すと共に開放させるはずだった。
続く世界。
意識の遠退きそうな熱さ。
熱いのはロックオンの体だった。
続けざまに息を呑んで、背後を振り返った。
エクシアが囲まれていた辺りだった。
敵の姿の無くなった戦いの後の荒れ地を、デュナメスは疾走した。
エクシアの姿は無い。
変わり果てた姿ならある。
ヴェーダではなく、誰かに訴えたかった。こんな酷いことをさせるのは誰だ。
「正解じゃなかったのか?」
刹那を見捨てて戦うのは。
「なんだこれは」
疑問。クリアされたはずのゲームの続行。クリア。つまり、敵の死亡の確認。任務の終了。あるいは、全滅の。
目の前でエクシアのパイロットが引きずり出されていた。
エクシアのように、彼の搭乗する機体と同じように、弄り殺されていた。
まだ息はあったかもしれない。
生体反応はあったかもしれない。探せば。
汗が冷たかった。息が吸えなかった。ヘルメットの中は、十分な酸素が与えられていたはずなのに足りなかった。
決められていた。こうなってしまっていたら、ころせ。
まだ息があったとしても。可能性があったとしても。
たとえ銃で殴られた目が潰されていたとしても。目と、皮膚のめくれた額から溢れている血が青いパイロットスーツを濡らしていたとしても。パイロットスーツが腕ごとねじれ曲がっていて、破れたスーツから、搾り出すようにして血が滴っていたとしても。
いつも、梳かしてやらなくてはならないと思って見守っていた黒髪が濡れて塊になっていた。肉が殺げて白い顎の骨が覗いているのか、脂肪か、半開きに開いた口の歯か見分けがつかなかった。両足の太もも片方ずつに穴が一つずつあいていた。それら全てから流れた血が、刹那の体を濡れそぼらせていた。
なんとなくわかる。
そこまでされても、このあと適切な処置を受け、細胞活性装置の中に放り込まれれば、ひと月足らずで刹那は回復してしまう。喋れるようになってしまう。
酷い話だった。
デュナメスの中にある、ライフル用のスコープを引き下ろした。
ますますはっきりと刹那の様子が見えてしまい、うんざりする。
刹那は視界の中央だ。
必要でないものは無視する。たとえば、外で呑気に水を飲んでいるであろう刹那。
会いに行こうと思った。
こんなくだらない世界ではなく。
そんな世界は無いと思えるほど、ヴェーダはリアルだった。
ハロだけが黙っていた。
また一発、刹那が撃たれた。右足首を一発。血と踝の肉片が飛び散るのが良く見えた。多分、デュナメスが彼らにライフルを向けているからだろう。警告を無視し続けているから。
必要でないものは無視する。
全て焼き切る為に撃った。
閃光がコックピットを照らし終えたとき、ロックオン・ストラトス以外が世界から消えた。
そして、デュナメスの中で、一緒にいたはずのハロが消えた。プログラムが終わった。ヘルメットを脱ぐと汗の匂いがコックピット中に拡散した。涼やかな風。
「あー……」
暑さに後ろ髪をまとめる。縛るゴムが無い。そのまま戻す。首のまわりを風が一瞬通って、終わった。
「今の刹那なら……」
デュナメスの足元にハロが転がっている。ロックオンがコックピットから降りてくるのをさも心待ちにしているかのように、両目を赤く点滅させて。別のガンダムの整備が終わって、こちらに駆けつけてきたらしい。
「ああなる前に、俺に助けを求めるだろうさ」
気分の悪さは最悪だった。ヴェーダに伝えなければならないことをハロに向かって呟いた。
(そしたら俺は)
多分エクシアの元になりふり構わず戻り、エクシアも最後の力ぐらいは振り絞り。
「勝てたな」
スピーカーのスイッチを入れ、デュナメスの足元を跳ねるハロに語りかける。
「勝テタ!勝テタ!」
オレンジの塊が、跳ねまわった。
〜3〜へ