広がる水
あまりに単純な衝動の中で自殺を図ったところ、あろうことかアルヴィスの司令本人に発見されてしまい、メディカルルームに寝かされるという醜態を晒す。
すぐに投与された薬が効いていて、今は一人娘のつもりで育てた娘のために、泣いてやることすらできない。
羽佐間容子がそこにいた。
司令は一度立ち去り、すぐに戻ってくる。・・・もう一人を連れて。
「今・・・は、会いたくありません。」
カーテン越しの二人分の影に向かい、震える唇の間から声を出す。
こみあげてくる嘔吐感は、安定剤の副作用だけではないはずだ。
ただ、娘を唯一助けられたはずなのに、死への号令をかけた男が憎い。
皆城総士が憎い。
たかが子供の分際で、人の死の重さをさも知っているかのように、責任を取るつもりでいる男が。
一体どんなつもりでいるのか。
紙に数枚、謝罪を書いて終わりか。
「ごめんね・・・総士君、帰って」
感情のない優しい言葉を意識を集中させて出す。
聡いことで計画に関われてきた彼ならば、中に含めた拒絶の意を確実に拾うだろう。
けれど、去っていった足音は一人分。
重さとして、教えている生徒たちの親の足音。
生徒のものではない。
「・・・何してるの?・・・帰って?」
一人分の気配を正面の、布一枚隔てたところに感じながら、最大の理性で嘔吐感を抑え、言った。
けれど、次第に、止められないくらいに込み上げてくる。
今、この枕元の花瓶で、人殺しの頭を殴りつけたら、どれくらいで人が駆けつけてくるだろうか。
果たしてその後、退島処分を下されるだろうか。
殴りつけた頭から、どれくらいの血が流れるだろうか。
気配は、動こうとしなかった。・・・考えを告げれば動くだろうか?
花瓶に手を伸ばそうと、身を起こした。
人が来るまで殴りつけられればそれでいい。
止められたのならば、そこまででいい。
虚ろな目で、カーテンに映る若い司令官の影を見た。
(これで・・・・・・・)
娘の感じた痛みを伝えられる。
どれだけ痛かったか、どれだけ苦しんだか。
歓喜に手が震えた。
何度も殴りつける自分の姿が思い浮かび、震えた手が勝手に覚えた感触に
自然と微笑んでいた。
・・・・・・花瓶を、握る。
「羽佐間翔子の、最後の言葉をお伝えしに参りました」
中の水が零れた。
床を伝わって、広がっていく。
カーテンと床との隙間から、皆城総士の靴先が見えた。
容子が黙ったままであるのに、彼は勝手に続ける。
書類を読み上げるのと同じ、淡々とした声で。
死に際の娘は、もっともっと沢山の思いを、その言葉に重ねていただろうに。
そんなものなど無かったように全てを無視して。
頭の中が白くなっていった。
容子の手を離れた花瓶は、横倒しになって、置かれていた台の上を転がっていった。
床の上に落ちて、割れる。
「以上です」
ガラスの砕けた音に、なんの疑問も無いのか。
少しも動じず。
本当に、告げるだけ告げて、総士は立ち去っていった。
(今・・・止めれば・・・)
きっともっと沢山のことを聞ける。
最後の時の、娘の感情、表情。
今まで少しでも、幸せを感じさせてやることができたのか。
総士は翔子であったのだから、わかるはずだった。
(でも・・・)
顔を覆った両手が濡れる。
彼を、呼び止めることができなかった。
それほどに、二つの大事なことだけが届けられた。
羽佐間翔子と、最後まで母と子であれたこと。
そして娘は、「生きた」のだということ。
それらは、気を失うまで泣き続けるのに十分値するものだった。
*****
総士がメディカルルームを出ると、待っていたのか史彦と目が合った。
すれ違い様に、一度止まっていう。
「例の件、実行します」
「・・・・・・いいのかね?」
史彦は、相手の張り詰めた声が少しでも和らぐように穏やかに言ったつもりだったが、返された口調は変わらない。
「パイロット達の為です」
瞬間に。
その両肩に、あらゆる重圧が一気に圧し掛かったのが見えた。
END