潜入
ティエリア・アーデの赤いドレスの下、胸が確実に柔らかく膨らんでいるのを目前にして、刹那・F・セイエイはぎょっとして後ずさった
……というところから話は始まる。
頭を殴りつけられたような衝撃と眩暈を辛うじて立ったままやり過ごし、刹那はやっとのことで声を絞り出した。
「潜入すると伝えた筈だったが……なんて恰好をしているティエリア」
常識を疑う思いと、これで大丈夫なのかという不安と、どうして自分が代わってやれないのかという無念に打ちひしがれること数秒。
その数秒間刹那はずっとティエリアを正面から見つめていただけだから、刹那の中で渦巻いていた交々の思いにティエリアが気付くわけも無く。
衝撃に追い討ちをかけるようなちらつく赤いシルクのドレス。白い足。良い匂いのする薄化粧。しかもたちが悪い程よく似合っている。
高いヒール靴独特の足音をたててティエリアは刹那に近づき、勝ち誇ったように言い放った。
「よし、まず胸を見たな。良い傾向だ。作戦の成功率が上がる」
わなわな震える刹那が二の句を告げられないでいることを良いことに刹那の前でくるりと回ってみせる。
脳が破壊されそうな衝撃が言葉を取り戻す。
「正気か?」
しかしそれが最後の一撃であって気力。直後、刹那は卒倒しかけて顔を手で覆った。
間違っても倒れ込まないように、プトレマイオス内の壁に寄り掛かる。
ほどよく冷えていて助かった。
さらに一歩、ドレスをヒラヒラさせながらティエリアが近づいてくる。
「似合うか?」
「……胸は?」
「偽モノだ」
必要なことだけ確認を取る。後のことはどうだっていい。ドレスも制服も「布」として分類してしまえば問題ない。身に纏っていれば
「服」として成立する。それ以上細分化しなければダメージを受けることはない。
「刹那?体調不良か?」
それは違うので返す。溜めると混乱しそうなので一つずつ。
「いや。……だが本当にそれで潜入……」
顔を覆っていた手をすぐ目の前まで迫ってきたティエリアに伸ばす。膨らんだ胸を片方ずつ揉む。引っ張る。
「……任務中に取れるようなことはないな?」
ティエリアのことだ。テコでもこの恰好で潜入するのだろう。なら、直前に出来る確認はしておかなければ。
「当然だ。細心の注意を払って固定した。これならば正体がバレる心配は無い。IDも全て偽造してある」
揉んで引っ張り押して大丈夫なことを確認する。
なんだか猛烈に悲しいことをしている気持ちになって、改めてティエリアに懇願する。
「その恰好は……やめないか?」
「何故だ?」
ストレートに返される疑問に、何故そこで疑問に思ってしまうのかと溜息をつく。
某組織のパーティーに直接乗り込み情報収集をマイスター自ら行うという作戦概要だったが、まさか開始一日前からイレギュラーに襲われるとは
思いもしなかった。
「ティエリア……俺は今回お前の直接的なサポートができない。中東の人間がパーティー会場に正面から入ることが……できない」
ちゃんと通じてくれることを願って区切り区切り説明する。
目の前に、人を小ばかにしたようなティエリアの涼やかな顔。
「君はそもそも向かないだろう」
一度目を閉じ、深呼吸をする。目頭が熱くなるのを感じながら冷静さを保つ。
目を開き説得作業に移る。
「話を聞け。アレルヤは顔を知られている可能性が高いし、ロックオンはこの手の任務はまだ不得手だ。今回お前のサポートに回れる人間は誰もいない」
「心配無用だ刹那。内部の情報源は僕が完璧に抑えてみせる。裏は君に任せた」
項垂れた。
再度大きな溜息をつき、了解の旨を伝える。
「本当にそれで行くのか」
「ああ」
項垂れる。
目の前で二つの大きめな膨らみがフワフワしていた。
あまりにも気楽に。
イラついてひっぱたいてやりたかったが、偽モノにバウンドされたら竦んでしまうので耐えた。
「ティエリア、もし他のパーティー客に触れられたりしたら嫌がる素振りを忘れるな?」
何がしたいのかさっぱりわからないの相手は、このソレスタルビーイングを刹那のいない四年間一人で支えてくれた功労者。
何をしてやればいいのかさっぱりわからないまま、とりあえず出来る限りのサポート……といっても出来るのは偽の胸部が外れないか確認
する程度のことしか出来ない。
「……温かいな」
「体温が直接伝わる擬似胸部だ。万が一触れられたとしても触った相手が瞬間的な違和感を感じることは無い。形もきちんとしている。確認するか?」
ティエリアの真剣な眼差しに、力の抜けきった笑みを返した。
「誰がやるか」
……というような。
作戦開始直前のやり取りを思い返しつつ、排気口の隙間を這って移動する。
(ティエリア・アーデは……馬鹿なのか?)
頭を振って浮かんだばかりの考えを打ち消す。
いくらなんでも、それはあの戦いを生きて切り抜けた仲間に対してあんまりだ。
排気口から内部に潜り込み、確実に必要な情報を入手していき、己の分の任務は完了させる。
ティエリアが必要ない程の収穫だったが、ティエリアがパーティー会場の状態を報告してくれていたから自由に動けた……というのもある。
万一を考え手に入れた情報を転送してから、任務完了と撤収を告げるために通信端末を開いた。
「ティエリア?撤退だ」
応答が、返らない。
ついさっきまで入っていた電源すら切られているようで、ノイズ音すら無し。
(まさか……)
嫌な汗が流れた。
***** ***** *****
豪華絢爛なパーティ会場は赤と金を基調としていて赤いドレスでは全く際立たない……のを良いことに、常に周囲を警戒していた。
何処の誰が会場を離れただの、こちらのターゲットがどこにいるかだの、逐一刹那に報告しても、誰もこちらに目をやらない。
プロらしい視線も感じない。玄人は外で素人は中。中は安全。
そういった感覚で皆が集っている気配を感じる。
そのうち、一人の男が「恐らく」こちらを何度か見ているのに気付く。
その人間が自分のターゲットであることに気付き、あえて無視を決め込んでいると、やがて向こうの方から
『接近』。
間近にまで迫られた。
うっかり刹那からの通信が入らないよう、慌てて電源ごと切る。
そのまま、会話が弾んだ。
ターゲットから、聞き出したいことを小分けにして聞き出していく。
情報には二種類ある。
聞き出せるものと、聞き出せてしまっては返って不審なものだ。
一度、鎌をかけた。
後者が飛び出た。
背筋が跳ね上がる。
緊張を柔和な笑みで掻き消す。
「それで……」
続きを促してみた。
相手の男は太った腹を揺らして笑う。
その後、通信機の電源を入れたらまず真っ先に刹那に報告したい台詞を吐いた。
「これ以上聞きたいのならワシの部屋に来い」
嗤う。
可笑しいのはこちらも同じだ。
「ええ、よろこんで」
今までで一番滑らかな声が出せた。
二人してパーティー会場を出て、同じ建物の上階にあるターゲットの部屋へ。途中、通信機の電源は入れるも、ターゲットが近すぎて音声はオフに。
部屋に入った瞬間に鍵を閉められ、部屋の奥、窓際に追いやられる。が、窓の外には迷彩被膜を張ってリポーズ中のダブルオーガンダムが目に見えないだけで
そこに確かに存在している。
焦りも何も無かった。
「これ以上聞きたいかね?」
聞きたいならばシャワーを……などと言ってくるターゲットの台詞を半ば無視しつつ、相手の酒に酔った赤ら顔を見つめどの程度誘導が可能か判断する。
殴ったら怯えるタイプなのか、ギブアンドテイクか、商談は可能か。
その一瞬の隙に抱えられてしまったのは失態だった。
「丈夫な体だな」
とギリギリ正解の単語を聞き分けた瞬間に王様のようなベッドに放り投げられる。
「なっ」
開きかかった足を慌てて閉じて、ドレスが捲れるのを抑える。
咄嗟に身を起こすも額に冷たい感触。
『銃口』。
「あらあら、何かしらやめてくださらない?」
何かご機嫌を損なうことをして?
と、あくまでソレが本物ではないと思い込んでいる素振りをしてベッドを立つ。も、ハンマーが下ろされる硬質な音。
『本物だ』と解ってしまっている目を一瞬してしまった気がして、慌てて笑みを浮かべてはみたが。
「時にホストのボディーガードも商売になる」
いや、お前がターゲットだとは口に出来ず、そのまま硬直する。
たかが拳銃相手でも近すぎて、むしろ殺傷に確実な距離。
何度も仲間に向けてきた銃口。
いざ向けられてみると、これほど不愉快なものもなかった。
「さて、お休みレディ」
盛大な鳥肌が立つ。
男の勘違いに突っ込む間もなく次のアクションを取ろうととりあえず射線から身をそらそうとした時、目の前に突き出された腕が
一瞬にして大量出血。
見る間に妙な方向に曲がり弾け銃が部屋の隅に飛んでいく。
一度瞬いてから視線を天井に上げた。
ほっとする。
笑みを浮かべる。
しゃがみこんだ男とティエリアの前に銃を構えた刹那が落ちてくる。
そのまま廊下から駆け込んできた本物のボディーガードの一人にヒット。
様子を伺う優秀な方を牽制。撃ち続けつつ窓から離れる。潜入用の銃。消音。
壁だけが粉砕されていく。
その合間に脱出用の小型爆弾を窓際にセット。刹那の背後に一瞬入り、自分の銃を足につけたベルトから引き抜き刹那に続いて応戦。
時間一秒前に二人同時にベッドの影に伏せる。
小爆発。
防弾の窓が砕け散る。
剥き出しの肌がガラスで傷つくかと思えば、破片が落ちてくる直前に一層深く渾身の力で床に押し付けられた。
ティエリアを庇った刹那の上にガラスが降り注ぐ合間に思考を止めず弾倉をチェンジ。廊下から覗き込んできた男の額にヒット。
牽制の続行。
刹那が起き上がる。脱出口を確認する。
その刹那に引き起こされる。そのまま二人して窓際に足をかけ跳び下り……ダブルオーのコックピット内に跳び込む。
「何故あんなことになった!」
「はずみだ!すまない!」
言い争いはそこまで。
ダブルオーのコックピットの中では優先権は刹那にあり、邪魔にならないよう慌ててシートの背後に回る。
戦闘のはずみに叩きつけられないよう、内壁にしがみ付いた。
刹那の黒髪から、キラキラとガラスの小さな欠片が落ちる。
申し訳なかった。
「お前がターゲットたちの目をひきつけておいてくれたお陰でこちらで全て抑えることが出来た。問題ない」
危険区域からあっという間に離脱しながらエージェントに事後処理を頼むよう連絡を入れた刹那は、そのままの口でそう告げてきた。
随分、人を想えるようになったと想う。
「俺こそすまない。余裕が無いまま床に押し付けた。痛めてないか?」
追手を気にしてかティエリアの方を振り返らないまま、刹那は言う。
相手の変化に嬉しくなって答えた。
「胸がクッションになったから平気だ」
一秒、無言の時間があって。
八秒以上、長い長い溜息を刹那がついた後で
「黙れ」
と、言われた。
END