ほうかご
教室に夕日が差し込んだ。
一騎は、同じ光を浴びる校庭を眺めやる。
朝から、ずっと見ていた。
顔と名前くらいはなんとなく知っている他学年の授業を受ける様子や、遊ぶ様子を。
チャイム毎に繰り返し繰り返し同じことをする彼らを見ていると、夢に思えてくる。
突然、影が落ちた。
「授業、全部終ったぞ」
総士の声が、した。
一騎の机の傍らに立つ、総士を見上げる。
「ノートは?」
見上げた先の総士は、一騎の広げっぱなしのノートを見下ろしていた。
そこに書き込まれているものに文字は一切なく、あるのは渦や、鉛筆で真っ黒に塗られた丸や・・・・・・。
「昨日の分のノートは、一騎に見せて貰いたかったんだがな」
困りきった声を総士が上げる。
「その・・・真っ白では・・・な」
一騎は総士から目を逸らし、また外を眺める。
総士の動揺した顔が面白くて、直視していられなかった。
一生懸命校庭を見ようとしていたのだけれど、面白さが押さえきれずに体が震え始めて、
とうとう堪えきれずに声をあげて笑った。
「こんな席に居たらノートなんてとってられない」
教室ですることは二つしかない。真面目に授業を受けるか、授業が全て終わった後の自分について考えるかだ。
でも少なくとも後ろの席は、授業を受けるためには存在しない。
「では、明日にでも席替えしようか」
総士の突然の提案に、ぎょっとして振り返る。
「横暴だっいくら学級委員だからって!!」
弾みで椅子から落ちそうになった。
「大体、もう授業は終わったんだろう?!!」
「とっくに」
あっさりと頷かれるのがこんなに腹の立つことだとは思わなかった。
「ならっさっさと帰った方がいいんじゃないか?仕事、あるんだろう?!!」
机にしがみついて、この席から離れる意思の無いことを示す。
むくれて、再度総士を見上げた。
あきれたように総士が言う。
「もう放課後なんだが……」
「うるさいっ」
「一緒に帰らないか?」
途端に目の色が変わったことに、一騎は気付かない。
一瞬、ポカンとした顔つきになって、それから猛烈に目が輝いた。
「なんで…そんな…総士……」
あからさまに一騎が照れる。
「お前からそんな風に言って来るなんて……」
照れながら早速用意を終えて、一騎は総士の隣に並んだ。
「でも総士、お前から帰ろうなんて。どうしたんだ?」
半分疑いながら総士について行った結果、普通に校門を出て、皆帰って誰もいなくなった通学路に向かった。
「嬉しいんだ。凄く」
「そうか?」
そっけない返事でも、嬉しいものは嬉しい。
「俺が今の俺でいられるのは総士のおかげだから、総士に声かけてもらえて凄く幸せだ」
「そうか……」
総士が困ったような顔をする。
それだけでも嬉しかった。
そんなふうな反応でも、ちゃんと返してくれるようになったことが。
大好きな総士の視線が冷たいものでなくなったことがどれだけ嬉しいか、総士はわかっていない。
話しかけて貰えるようになるなんて、思いもしなかったのに。
「じゃあ……ここで」
突然着いた分かれ道。ここから総士はアルヴィスに行って、一騎は家に帰る。
「ああ。総士、また明日っ」
その一言で、総士も頬を染めて喜ぶ。
多分、本人は気付いていない。
頷いて、さっさと踵を返して行ってしまう。
「……恥ずかしがっちゃって……さ」
一騎自身の顔が一人だけ最初から最後まで真っ赤だったことより、今の総士の態度の方が恥ずかしいことをしていた
ことにしたかった。
「俺は、総士と一緒にいたって、平気なんだからな」
今まで総士のいた、今は誰もいない場所に向かって、総士を馬鹿にする。
「俺は、他の誰かといたって嬉しいし……総士と話す時みたく、緊張したりしないし……」
誰もいない。
声がだんだん小さくなる。
ふと思った。
「総士は……ちゃんと皆の中に入れてるのか?」
外れてないだろうか。
勿論、総士から声をかけてくれるのは嬉しいし、二人っきりで帰れるのも幸せだけれども……。
ほんの少しだけ心配になった。
***** ***** *****
翌日。
教室で大喝采が起きた。
休み時間、いつものように近藤剣司が自慢話を教室中に響き渡るような大声でし、それがだんだん真昼間に相応しく
無くなって来たところで、咲良が剣司を襲撃した。
慣れたものだと言わんばかりに剣司は逃げ出し、机や椅子やら倒して走って追手の足止めをやり抜けた。
「剣司ィ!!」
咲良に軽く手を振って剣司が教室からとび出ようとした瞬間、総士が剣司を捕まえた。
いや、あっという間に手際よく、総士が剣司の腕をきめた。
異色の組み合わせ。
クラス中が注目した。
さっきまで自慢話をしていた大声が悲鳴をあげる。
「腕がとれる腕がもげる腕が裂ける!!!!」
悲鳴の内容が的確に剣司のダメージ量の変化を伝える。
「まだ昼間なんだが?生徒会長殿?」
「ぎゃあああああっっ」
悲鳴が途切れる寸前に、パッと総士の手がはなれる。
倒れこむ剣司を咲良がキャッチする。
「わぎゃぁああぁぁあ!!」
もう一回悲鳴。
周囲の歓声。
咲良にとっ捕まった剣司に、いつもは見向きもしない総士が珍しく小言を言った。
「お前みたいな奴がいるから『男の七割は高いものから物を取る時と、米を買うとき以外クソにも役に立たない上に、
残りの三割はゴミだ』と言われるんだ」
「あ、それお母さんが言ってた」
言い出した遠見の隣で衛が仰け反る。
「そ、総士お前っそんなこと言われたの?!!」
しっかり目を合わせて答える総士。
「目を見て直接」
咲良に捕まったまま、剣司が聞いた。
「総士っお前七割だった?三割だった?」
楽しそうな声で。
その声に総士が噛み付く。
「三割だ。先生が三割と言った瞬間、正面から目が合った。……咲良、もっと絞めろ」
「了解!」
「うぎゃぁぁあぁ!!」
剣司の悲鳴。続けて弁解。
「総士っ!お前それ八つ当たり!!俺はお前と違って七割だ!!」
「咲良!俺と代われ!!」
教室の後ろの方から怒声。
「俺が投げる!!」
「アタシが投げる!!一騎は退いてな!!」
二十分遅れで授業が始まった。
机を直したり事情を聞かれたりごめんなさいと言わされたり、もうしませんと書かされたり。
みんな帰った教室で、一騎は一人で待った。
と、足音が近づいてきた。すぐにそれが総士だとわかる。
「おかえり総士」
放課後すぐに職員室に呼び出された総士の帰りを待っていた。
思ったとおり、何でもなかったかのように総士は帰ってくる。けれど一騎と目が合うや否や、ちょっと肩を竦めた。
「授業が始まっていたなんて気付かなかった」
「大丈夫・・・だったのか?」
「今は剣司が叱られてる」
鞄の中に荷物を入れて、帰る仕度をする総士の背中を見つめた。
今日の大騒ぎ、総士は普通に、皆の中に入って遊んでいたようだった。
「なんだ。心配して損した」
自然と、そんな言葉が口をついて出た。
総士が学校で一人、つまらない思いをしていないか気にしていたのに。
でも良かった。これで良かった。
ほっとしたら、嬉しくて自然と笑みがこぼれた。
「一騎こそ何だ。突然笑い出したりして。大体、お前が心配する必要など何処にも無・・・・・・」
全て総士が言い終わる前に、総士の口を塞いでやった。
総士の唇をちょっとだけ・・・・・・唇で。
放したら面白いくらい総士の顔が真っ赤になっていた。
昨日の倍以上。
そのせいで、こっちまで声が上擦った。
「ごっご褒美だからっっ」
そう、ちゃんと遊べてるご褒美。
それも、一人じゃなくて、みんなの中で。
いつもの自分みたいに、一人でいることを楽しまないご褒美。
荷物を持ったまま、固まってしまった総士を引っ張る。
総士の反応が露骨すぎて、恥ずかしくて仕方ない。
「ほらっさっさと行こう!」
なのにまだ総士は動けない。
こっちもガンガン赤くなってるはずの顔を、真っ赤になったまま止まった総士に向け叫ぶ。
「剣司が帰ってくる!!」
総士の石化が解ける。
総士の手を思い切り引っ張って、二人で教室の外を目指して走った。
あちこちにぶつかって、椅子の足に躓いたりして。
二人で逃げた。
end