手紙
久しぶりの登校だった。
下駄箱で上履きに履き替えたとき、ふと、自分のより一段上にある真壁一騎の靴が目に入った。
(・・・・・・きてるのか)
今日は、学校にまででてくる必要は無かったのだけれど、机の中で配布されたプリントがたまりにたまって
酷いことになっていると一騎に告げられて、止む終えず来た。
別にアルヴィスで調べれば、プリントの内容などすぐにでもわかるのだけれど
それは、一騎達が必死になってしがみ付いている『日常』に反するわけで。
なら、プリントだけもって来てくれれば良いとは思うけれど、今の一騎にそれを望んでも仕方がない。
何より一騎自身が、総士が学校にいないのを嫌がっていた。
多分、一騎にとって、総士がいないということが、『非日常』に直結してしまったのだろう。
いつでも、二言目には学校に来るように促された。
昨日もギリギリまで粘られて、ふとした油断に頷いてしまったら満面の笑みを浮かべられてしまって。
・・・・・・来る羽目になった。
鞄を持ち直して教室に向かおうとしたときだった。
もはや登校には遅刻の時間、誰も居ないはずの廊下を駆けてくる人影が二つ。
目を細めて、影の正体が保険医と体育教諭であることを掴む。
二人は隣の職員玄関へと向かっていって、途中に総士の姿を見つけると立ち止まり叫んだ。
「アルヴィスでシステムエラーなの!少しでも手が欲しいから来て頂戴!!」
そう一言叫ばれれば、『日常』は消える。
身を翻してアルヴィスに向かおうとしたけれど、
そのときどういうわけか、自分のより一段上にある一騎の靴が、色濃く目に映り、
手が止まってしまった。
二人の教諭が玄関を飛び出し、職員用の扉が、かなり乱暴な音を立てて閉まった。
瞬間に我にかえる。
鞄に手を突き入れて、最初に触れたノートの端を破り”すまない”とだけ走り書いて一騎の
靴箱の中に放り込む。
すぐに先に行った二人を追った。
*** *** *** *** *** ***
今朝方回収した何通かの挑戦状を片手に、一騎は靴を床に叩きつけるようにして置いた。
行動の端々が怒りをそのまま表してしまっているのが恥ずかしく、余計にいらだつ。
総士は、今日は来ると言ったのに来なかった。
それだけのわけがあるに違いないとは思うのだけれど、せっかく今日は今となっては珍しい
いつもどおりの日の筈で、その証明として総士が学校にいる筈だったのに
昼休みどころか放課後まで総士は来なくて。
今日も、異常な日々の一端であると暗に伝えられた気がして、やりきれなくなる。
今日の挑戦相手は、まともに相手をしてやろうと思う。
よけないで、投げとばして、すぐに帰る。
夕食の支度をして、宿題を片付けて、風呂に入りがてら風呂を洗って、朝食の下ごしらえを
してから寝る。
総士は、今日も具合を悪くして、ベットに寝ていた。そういうことにすると決めた。
さっさとノルマを片付けようと乱暴に靴を履いた瞬間
何かを踏み潰した感触がした。
靴から取り出してみれば挑戦状にしては失礼な紙キレで
紙キレにはたった4文字の内容と、差出人の名前が殴り書かれていた。
”すまない”
それから、少し間をあけて
”そうし”
名前までが乱雑なひらがなで、急いでいたことを告げてくる。
たった七文字、しかもすべてひらがなで、差出人の頭がかなり幼く思えて笑ってしまった。
どうしてもっと静かに靴を履かなかったのかと後悔しつつ、
それ以上クシャクシャにならないよう、教科書の間に挟みこんだ。
かかってくる挑戦者を、よけて、かってに転ばせて、帰るときには薄暗くなってしまう。
買い物袋を片手に家に帰ったときには、家の外も中も真っ暗だった。
(父さん・・・・・・帰ってないのか・・・・・・)
ちゃぶ台の脇に、荷物を置く。
座りがてら、天井から垂れ下がった紐を引いて部屋明かりをつけた。
(今晩・・・・・・いらない・・・・・・よな)
日々の訓練のせいもあり、流石に疲れた。
ちゃぶ台に突っ伏し、顔だけ台所に向ける。
ご飯は朝のうちから炊いてあって、冷蔵庫は地味にたまった残り物がラップに包まれ、
それらの乗った小皿は瓦のように積んである状態。
適当にあたためて、片付けてしまおうと思う。
夕食を作るはずの時間が空いた。
途端に、背や肩が軋んだ。
う〜〜とか、あ〜〜とか、そんな声だけ天井に吸わせて、ちゃぶ台の上から畳へと転がり落ちる。
頭やら体やらを打ったはずなのに、大して感じられず、これをきっかけに疲れやらだるさやらを
飛ばしたかった自分としては、頑丈すぎる体を恨めしく思った。
寝転がったまま見上げた天井の、部屋明かり。
わっかの電球に、埃がたまっていて黒ずんでいた。
年末に取り替えて以来そのままの、長生きな一品だった。
保温スイッチの入った電気釜と、冷蔵庫の機動音が耳に入る。
それらがずっとたてていた音に初めて気がついて、台所の方を見ようと頭だけ動かした。
重い頭。それについた髪が、畳にこすれて音をたてる。
(・・・・・・静かだ)
家中が静か過ぎた。
まるで家具だけ年末からの続きの時間の中に在るようで、自分ははじき出されてしまっていた。
去年からの時間の中にいない自分は、この家すら、居場所ではない気が・・・・・・する。
そんな冷たい場所に感じた。
土間からのろくろの音さえ無い。
台所から視線を戻すと足先が学校の鞄にあたった。
あたった瞬間、そういえば今日は特別なものが鞄に入っていたことが脳裏を過ぎり、跳ね起きた。
跳ね起きる必要はどこにもなかったのだけれど、少しでも腹筋に力を入れればそうなった。
跳ね起きて、鞄を引っつかんで、また倒れた。
手探りで鞄を開けて、一冊の教科書を探し出す。
仰向けに寝転がったまま胸の上でパラパラとページをめくる。
半分辺りまでめくったところで紙切れが一枚、畳に落ちた。
折らないように、大事に拾い上げる。
その紙切れが、唯一自分を認めてくれた世界にいることを許す証明だった。
四月から新しくなった世界に。
それなのに、紙に書いてある言葉は謝罪だった。
物悲しい気もしたし、当然な気もした。
とにかくその欠片は、大切なものだった。
七字しか書いていないのに、何度も読み返す。
読み返していくうちに、謝罪が何をさしているのかわからなくなってくる。
今日、総士が学校に来なかったことか。
日常にアルヴィスを巻き込んだことか。
自分を、二度と戻れない世界に連れて行ったことか、
それとも、まだ何か告げられないことがあって、こんなもので紛らわせたのか。
(でもこの手紙は、俺のいる世界と同じ世界のものだ)
今は、そうだ。
(これだけあって、この手紙だけだ)
そう思うと、たかがノートの切れ端が、わが身のように感じなくも無い。
天井の明かりに透かすようにして、しばらく無心で見つめていた。
明かりがまぶしくなって、台所に視線を戻した。
さっきより、暗く見えた。
(冷蔵庫のもん・・・・・・片付けなきゃ)
意識がゆっくりと、今に戻る。
ちゃぶ台に手紙を置いて、ふらつきながら立つ。
予定通りに冷蔵庫のあまり物を温めた。
ご飯だけは炊き立てで、でも、自分の分をよそうと父の分が余る。
自然にちゃぶ台を見やった。
褐色の台に、白の手紙が浮き上がって見えた。
弁当が一つ、あっという間に出来上がる。
・・・・・・できたのに、先に自分の食事をとって、片づけて、またちゃぶ台に手紙と弁当を置いて
寝転ぶ。
(・・・・・・来ればいいんだ)
畳からちゃぶ台の弁当箱を睨む。
(来たら、こんな冷たい弁当じゃなくて、ちゃんとしたの・・・・・・・作ってやる)
来てくれたのなら、この時間であっても明日の朝の食材をもう一度買いに出るのだって苦じゃない。
耐えた。
*** *** *** *** ***
先に食堂に入っていく最高司令と、その連れの背を見て、わざわざ来たにも関わらず、総士は
そのまま食堂の前を通り過ぎた。
まっすぐに自室を目指して、部屋の前に立った途端に扉が開いた。
妹の姿を探すけれど、中にも外にもいない。
デスクの上に、赤い包みが置いてあるだけだった。
ちゃんと総士が開けても良い理由として、メモ用紙が一枚、包みに貼り付けてある。
”洗ってから寝ろよ”
大人の字とはかけ離れた、けれど見慣れた字に笑う。
それだけでは、一騎が負けた証であるとまではわからない。
END
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