はじめてのおつかい


 一騎は靴を鳴らして走って、ずっと前を大きな袋をさげて歩いていた幼馴染に追いついた。

声をかけるとすぐに振り返ってくれ、その顔を見たらすうに嬉しくなって、早速遊びに誘ったのだ。

けれど幼馴染はちょっと困ったような、照れたような笑いを浮かべ、持っていた袋を目の前に差し出してきた。

「夕ごはんのおつかいするからダメ」

開かれた買い物袋の奥底に、黒革のサイフが横たわっていた。

多分、総士の父親のものであると思う。

それからふと、顔を上げ、笑いかけてくる相手の顔を、まじまじと見た。

「一人でだいじょうぶ?」

未だかつて、総士が買い物をしている姿など見たことが無かった。

それを裏づけする返事が返る。

「はじめてだから、ちょっとこわいけど・・・ね」

でも大丈夫だよ?と再度笑みで返され、なんとなく、もう一度総士の顔を盗み見る。

ずっと一緒にいる幼馴染の微笑と苦笑、違いぐらい見分けられるつもりでいて、

今の笑みは苦笑に見えた。

 自分がはじめて父親にサイフを渡されたときの興奮、絶対によいものを買って、父を喜ばせようと

決意したことなど記憶の彼方。

ずっと色濃く、ほんの一瞬だけ心を占めた、一人の不安を思い出した。

多分、総士の顔色や言葉からして今を楽しいとは思っていないはずだった。

不安でいっぱいの総士を、このまま置き去りにするようなヤツじゃあない。ということを証明する、良い機会で

あるとも思われた。

胸を張る。

「じゃあいっしょに行こうよ!!」

得意になって数歩走ってから手を差し出した。

「・・・でも・・・」

逆に総士が後ずさる意味がわからなかった。

「なんども行ってるからへいきだよ?」

「そうじゃなくて・・・あの・・・」

「行こう!!」

何か言いかけた総士をさえぎって、空いているほうの手を取って走った。

さっと青ざめた総士の顔など見ていなかった。

買い物なんて怖いものでもなんでもなくて、すぐに終わるものだと教えたかった。



*** *** ***



汗だくで商店街に辿り着いて、走っている間にサイフを落としてしまってないか、

総士は一騎が立ち止まった瞬間に、袋の中を覗きこんでいた。

一騎も、一緒になって袋を覗き込む・・・。

目的は違ったけれど。

「そうし・・・これ、かうもの?」

一騎の目は、すぐに目的のものを見つけた。

袋に手を突っ込んで、中に入っていたメモ書きを取り出し、喜び勇んで総士に訊ねる。

「そうだけど・・・ねぇかずき・・・」

「魚屋さんはあっちだよっっ」

ぐっと、総士の手を引く。

さっきよりもむずかしい顔をして、何も言わなくなってしまった総士に、なんとか笑って欲しかった。

 総士は、黙って先を行く一騎の後をついてきた。

途中で何かを言おうとしても、その度に一騎に遮られ、あきらめてしまったようだった。

 数軒まわった後の、最後の店だった。

ここの店の人とも一騎はとうの昔に顔なじみになっていて、あっという間に欲しいものを手に入れてしまった。

店の人からの

「一騎くんは偉いね〜」

の何度目かを背に受けながら、買い物を無事に終わらせることが出来た満足感に浸る。

あとは、さっき買ってしまったばかりの野菜をいつまでも見比べている総士に、声をかけるだけだ。

何だったら、荷物をこのまま家にまで半分もってあげても良かった。

買い物に不慣れらしい大きな袋を一人ではひきずってしまうだろうから・・・。

「そうし、おわったよ?帰ろう?」

一騎が声をかけた時だった。

一騎は、何気なく声をかけたつもりだった。

ビクっと肩を震わせた総士が、目を大きく開いて見つめ返してきた。

総士の手にしていた野菜が、そのまま他の野菜の群れの中に落ちて

みるみるうちに、総士の目に涙がにじんだ。

「えっそ、そうし?」

強く目をこする総士を慌てて外に連れ出す。

店と店の間で、涙の理由を訊ねてくる一騎に、総士は顔を真っ赤にして言った。

「僕がかうのに・・・」

「え?」

僕が・・買うのっっお父さんに、おねがいって言われたのっ!!」

一瞬浮かんだ涙はとっくに引いて、怒り出した総士に、しどろもどろの返事しか返せない。

「だって・・・そんなこといわなかったじゃないかっ」

そして

「いったけど・・・きかなかったじゃないかっ!」

そんな言葉を聞いた瞬間に、記憶が圧倒的な罪悪感を連れ込んできた。

 自分が初めておつかいをした時は、頼まれたことが誇らしかった。

家に帰るときに走ったのは、恐怖からくる衝動ではなかった。

一人でもちゃんとできたことを、少しでもはやく、待っていてくれる人に見せたかったのだ。

「・・・・・・ごめん」

思い出してから弾かれたように頭を下げたのだけれど、総士は何も言ってくれなかった。

確かに、買い物は終わってしまっていた。

「・・・・・・かえろ?」

下げた顔の下に、白い手が開かれて差し出された。

おずおずと握れば、すぐに握り返されて、総士が先に歩き出すと

地面を見続ける間に商店街が背中になった。

「終わっちゃったもん、しかたないよ」

結局最後は総士が前を歩いた。

あんなに怒っていたはずの総士の声が、いつの間にか優しかった。

束の間の栄光の中で占めた味は大きく、後悔の重さを、一層際だたせた。

ここにいるどうしようもない自分は、総士に全て我慢させてしまった。

けれどももう、どうにも戻らない。

(・・・もどる?)

 ふと、何かを思いついた。

思いついた途端に、無責任にも心が軽くなった。

手を繋いで先を歩く総士を止めようと、足を踏ん張る。

総士が振り返った。

「なぁに?かずき」

悲しかったことなど、何も無かったような顔をして。

「も、もどろうっっそうしっ」

はりついた声で。

「もどるって・・・もういいよ」

穏やかな声で。

「いいからっもういっかいっっ」

見つけたかもしれないチャンスを、無くしたくはなかった。

無理矢理総士をひっぱって、商店街へと帰る。

ぼんやりとした総士から買い物袋を受け取ると、最初に買った店にとびこんだ。

「ごめんなさいっ」

大声に目を丸くする主人んに、包まれた品を差し出す。

「まちがえて買っちゃいましたっ」

 そんな無謀は生モノ以外許されて。

お金を渡された一騎が、すぐに総士の手を繋いで別の店に飛び込んだのも、苦笑のうちに見送られた・・・。

帰り道。

満面の笑みを浮かべて歩く総士。

こっそり見て、幼い一騎は耳まで赤くなる。

ほっとしたのと嬉しくなったのと、好きな子の笑った顔を間近で見れたことが合わさって。

さっきと同じで地面ばかり見た。

別れ際まで、総士は幸せいっぱいの笑顔だった。





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