真っ白な頭とプリント
赤点を取ってしまったからといって、もうどうにかなってしまうとかいうわけではないのだけれど。
補習の一つや二つ溜まったところでエースパイロットであることに変りは無いのだけれど。
それでもなんとなく申し訳ない気がして、教科書と白紙のプリントを数枚分抱えて総士の部屋へと駆け込んだ。
「お前しか頼れないんだっっ頼むっ!!」
必死の思いごと抱えてきた荷物を部屋の主の前に突き出すと、総士は目をぱちくりさせて、それからにっこりと
微笑んだ。
早速荷物をテーブルの上に広げると、総士は先にベッドに腰掛ける。
赤い斜線ばかりのテストを恐る恐る総士に差し出しながら、一騎はソファーの方に座った。
「これは・・・・完璧だな・・・ある意味・・・・・・」
総士から上がる感嘆のため息が、耳に痛い。
「そうか?そうだよな・・・・・・」
項垂れつつも、渡したテストがなかなか返ってこないことが気になって、こっそり総士の様子を伺えば、
総士は一騎のテストを端から端までしっかり読み込んでいた。
「そ、そんなっ総士!いいっ別にそこまでしなくていいっっ時間かかるだろっ?!!」
一騎の顔は、一気に真っ赤。
こんなテスト、点は悪いし、字は汚いし、馬鹿とわかられてしまうし、見られたくないっ!!
なのに総士は頓着しない。
というか、今の総士は完璧に、『人の気持ちがわからない奴』だった。
「構わない、僕はこの後ずっと暇だ」
そういう問題じゃない。
勉強を教えてもらうのと、赤点テストを総士にじっくり読まれるのは全然全く別の話。
総士に馬鹿だと思われたくない。
その一心が伝わらない。
「ちょっっひとまず返せ!!」
なんとしてもテストを奪還しなくては。
身を乗り出して、総士に手を伸ばす。
あともう一歩だと思ったのに、その瞬間総士はひょいっとベッドに寝転がった。
テストは一騎の指先をかすめただけで、まだ総士の手中。
「返せっ」
慌てて立ち上がってテーブルの脇を通ってから、ベッドの総士に挑みかかる。
「返せっもういいだろ?!!」
ひょいっと取り返せるつもりが、総士が寝返りを打ったせいで今度はテストに触れもしない。
この時になって、ようやく一騎の頭に疑問符が浮かんだ。
あれ?もしかして総士はテストを返すつもりはないんじゃないか?
答えがわかった瞬間、一騎にも笑みが浮かぶ。
次の叫び声は、笑い声になっていた。
「いい加減にしろよっっ」
笑いながら、総士の上にのしかかる。
総士もやっぱり笑いながら寝返りを打って、お腹の下にテストを隠した。
総士の上に乗り上げて、腹のしたに手を突っ込もうとするも、すぐに反応した総士に拒まれる。
「このっっ」
しょうがないので腕を押さえて、テストを握り締めている指を一本ずつこじ開ける。
ところがこれがなかなか頑固もので、降参しない。
「馬っっ鹿おまえっ!」
まぁ、そんな抵抗も、わき腹を一くすぐりしたら一撃なのだけれども。
「まったく・・・・」
わざと怒りながら、くしゃくしゃになった戦利品を手にソファーへと戻る。
総士はまだベッドの上で笑い転げていて、それはこの真っ赤なテストの点のせいかもしれなくて
若干ちょっと、今の総士の笑い声には不満を感じる。
「悪かったな!!11点だよ!!」
100点中の。
おかげで捨て台詞には、凄みもなにもあったもんじゃない。
ぶんむくれたまま、テーブルのプリントには一人で向かう。
どう解いていけばいいのかさっぱりだけれど、一人だってできるはずだ。
(わからないけど!!)
無念とは、こういう気持ちのことを言うのだろう。
一目見ただけで、自力じゃ解けないということだけわかる。
散々唸って自己嫌悪に陥った後、一騎はあきらめて顔を上げた。
「最初からわからない。なんとなくわかってるけど・・・・」
そんな一騎語を、総士は難無く解読した。
「だろうな」
白旗を上げるGOサインを出すと、総士は早速身を乗り出してきた。
「教科書に載ってる解答は、途中の式を省いているから、何を計算しているのか油断をしてるとすぐにわからなくなる。
一騎だって、そこさえわかってしまえばすぐにできるようになるさ」
新しい真っ白な紙をとりだした総士が、ズラズラと解答を書き並べていく。
一箇所の掛け算をしただけの式でも、総士はめんどくさがらずにちゃんと次の行に移ってくれて、
結果的に、一つの計算式を解くのに、A4の紙が上から下までぎっしり埋まる。
「これが、この5行分の解答に集約されてる」
ペロっと渡された紙は、解答にいたるまでの道が「1+1=2」みたいなものまでしっかり書き込んである
総士の芸術品だった。
「A型だなぁ・・・・・・」
変な感想をいいながら、ありがたくそれを頂戴する。
もやもやとしていたものがようやく晴れた。
教科書なんてわからせるための本なのだから、総士の書いてくれたものみたいに、全部書いてくれればいいのに。
「あ・・・教科書の三行目の式・・・だからこうなってたんだ・・・・」
「代表的なものをあと4.5問解くから、あとは一騎が自分でやってみればいい。もう一騎なら一人でできるはずだ」
確かに、総士の言うとおりで、わかってしまえばスラスラ解けて、三時間後には貰ってきたプリントは全部埋まっていた。
煮詰まっても総士のフォローがすぐに入って、ちゃんとできて、総士の赤丸がもらえた。
「凄い・・・できた・・・・・・」
自分のしたことが信じられない。
さっきまで、あんなにできなかったのに。
「総士、天才だな・・・赤点取ったことないだろ?」
「まぁ・・・そこまではないな・・・。大体父さんが校長だったんだぞ?そんなもの取った日にはなんて言われるか・・・・」
「最低なのは、何点だった?」
「学校のは・・・・57?」
「何で?」
「歴史で。覚えてなかったんだ」
「じゃあ。別のは・・・・・・?」
嫌な気持ちにはいつでもなれる。
当然だった。
学校のテストのは、57点。
別のところは何をやった?
そう思うのは、自然なこと。
思い当たった場所はひとつ。
「アルヴィスの最低は?総士も何か、訓練してたのか?」
思わず二人で見つめあう。
総士の部屋の、ソファーとベッドの間にテーブルがあって、本当に良かった。
***** ***** ***** *****
総士が、ちょっと天井の方を見て、それから視線を戻す。
笑った顔は、さっきと変らない。
もう過ぎたこと。過去のことだと思って良いのだとわかって、安心した。
「酷かったよ。アルヴィスに入ったばかりの頃だ」
「・・・問題は?」
「長いぞ?」
「構わない」
「・・・・・・設定はこうだ。僕の国は一人で戦っていて、そこの人口12万人の中規模都市に、敵軍の800機による空爆。
結果本土上陸の可能性が大であるという情報を、敵の暗号を解読することで入手した。その都市には防衛施設はなく、
僕の国には、本土防空用の戦闘機はない。さぁ、この都市をどうする?急がないと大惨事だ」
「・・・総士の言い方・・・総士の父さんにそっくりだな」
「さらに、援助国はなし。敵の作戦決行は24時間後。父さんの設定では、一分間で一時間経つらしく、
僕は10分で結論を出さなければならなかった」
「・・・・・どうなったんだ?」
「結局間に合わなかった。・・・というか、何も出来なかった。父さんから出されたヒントは、『何を優先にするか』で、
僕は、人間の救出を優先した。でもそうすると、答えが出ないんだ。12万人守るにしても、武器が無い。
人々を移動させるにしたって、数時間で12万人も?・・・・無理だ。従わない人間も、パニックを起こす人間もいる。」
「でも・・・・まだ総士が小さかった頃の話なんだろ?だったら・・・・」
「本当にあった話だと、あとで父さんに聞かされた」
「本当に、この事態に対して判断を下した指導者がいたんだ」
「総士・・・・・・」
「僕の結果は『時間切れ』で、『何もできなかった』だった。悩むだけで、何もしなかった。
父さんにあとでそう言われたときには死ぬかと思った」
自然と、視線が総士の丸付けを続けている答案に落ち着いた。
一騎の書いた答案に、次々と総士の赤丸が重ねられていく。
しばらく黙ってペン先を見ていて、でも急に聞きたくなって、聞いた。
「その時の正解は・・・なんだったんだ?」
赤ペンの動きが止まる。
総士が顔をあげた。
「『無視』だ」
「悩んだ僕が馬鹿だった。優先すべきことは何か、考えればすぐわかる。その時僕の国は戦っていたんだ。
『無視して、敵国の暗号を読み解けたという事実を隠蔽し、反撃に備える。』」
「それが、正しい答えだったのか?」
「そうみたいだ」
「でもそれって・・・・・」
「過去、たまたま正解になった答えだ。単にその時はそれが正解に繋がったというだけだ。良いとは・・・・・・
思わない」
たまに、総士の淡々とした言い方が、何かを切り落としていくような言い方に思えて嫌になる。
でも逆に、その中に本当の言葉を見つけたときは、わかりやすくて嬉しくなる。
「やっぱり総士は頭良いよ」
「そうか?」
「ああ。馬鹿じゃないって思う」
『良いとは・・・・・・思わない』
総士の頭を抱きしめてやりたい。
教えられるままじゃなくて、総士の部分もちゃんと持ってた。
ちゃんと口ごもった。
全部丸のついた答案。
二人見合わせて、にっこり笑った。
END