『Birthday』
総士の部屋のテーブルの上の5号の丸いショートケーキ。
ロウソクが数本刺さっているだけで手付かずだった。火もまだついていない。食べて貰えるギリギリで
部屋の飾りになってしまった。ケーキは仏頂面で静かにホコリが落ちてくるのを待っている。
ケーキの置かれたテーブルと丁度同じくらいの高さに一騎と総士の頭が並んでいた。
二人の足元に、総士のカプセルがゼリービーンズのように散っていた。
色とりどりで、味も素っ気も無かった総士の部屋が華やかに色付いている。
カプセルのいくつかは、直接被った水のせいで清潔とは程遠い形となった。
もっと大きな原因がある。
総士が上手く飲み込めず、口に一旦は含んだものの出してしまった。
手にしていたコップも水がほとんど入ったまま取り落とした。
(なんで今なんだ・・・・・・)
息も絶え絶えになった生温かい体を抱きながら思う。
噛んだ唇の皮を突き破り歯が入った。
あともう少しだった。
あともう少しで良かった。
二人で食べるにしては大きいケーキにオマケで入っていた小さなロウソクを6本立てて、火をつけて願い事を
して吹き消す。何か喋りながら食べて・・・・・・
全部できなくなった。
自分の誕生日が、台無しになった。
泣きたい。
せっかく楽しみにしていたのに。
総士と今晩の約束をしてから、毎日カレンダーに印をつけて指折り数えて待っていたのに。
この後の少しの間だけは楽しみにしていて良い時間だったはずだった。
それがもう、全部無い。
期待していたものを失った事に激昂したかった。
あんなにおいしそうだったケーキも色をなくして、今は床に叩き落したくてたまらない。
自分にも総士にも食べられないものにしたい。
総士が食べたかったとしても、知らない。良い気味だ。
ガッカリする事がどれだけ嫌なことか、総士も感じれば良い。
総士が泣けば、こちらの気も晴れるのに。
(全部無くなったっ)
唇に浮かんだ血を一瞬で舐め取る。
固く目を閉じて、深く息を吸う。
吐こうとしたとき、嗚咽に変わりかけて慌てて止める。体が震えた。
結局は、何もできない。
床に散ったカプセルは、ますます形を無くしていって、白い中身の僅かな粉も溶け出して姿を見せていた。
一粒も飲み込めなかった総士が、最初によろめいて全ての体重を一騎に任せたままの体勢で動かなくなっていた。
ただ歯を喰いしばって、一騎の右手だけを色が変わるほど握り締め自分の腹に押し当てている。
顔は一度も上げない。
このまま腹の中に一騎の手を没入させようとするかのように懸命に押し付けるだけ。
総士の様子は、一騎からはほとんど見えない。
息継ぎの様子や制服から出て見える箇所の肌の色、汗ばみ具合から察してやるしかない。
総士に寄り添って、自由な左手で総士の腰を背骨に沿って撫でた。
そのせいで、他の事は何も出来ない。
ケーキを床に捨てることも、床に転がったコップを拾うことも、新しく水を汲んでくることも。
総士が何をしているか、痛感するからだ。
(俺が、ザインとの接続部分を総士に撫でて貰うことで俺とザインとの境界を取り戻せるように・・・)
総士も、恐らく今は腹を貫かれた痛みが嘘であると脳に示すために、一騎の手を傷口の上に渾身の力を込めて
押し付けている。
今の痛みが本当だったら、一騎の手は、とっくに体の中心に到達している。
でも一騎の手は、こんなに押し付けても抉れた傷の上で止まったままだ。
だから、傷など何処にも無い。存在していない。
「傷なんて何処にも無い・・・血なんて無い」
いつものように、事後処理として耳元に囁いてやる。
いつもより長い苦しみ様。
(薬、飲めてないんだ・・・・・・当たり前か)
床を見る。
乾いたものを何錠か拾って、薄く開いて呼吸をする総士の熱を帯びた口に押し付ける。
唾液で溶けて、ぐにゃぐにゃになるまでそうしていたけれど、飲み込まれはしなかった。
「総士・・・薬・・・」
教えて、別のを拾って口に近づけてもやっぱり同じ。
我慢し続けて損をするのが嫌で、正直に打ち明けた。
「俺の誕生日・・・祝ってくれないのか・・・?」
このままずっと、明日の朝まで一言も話さないまま息だけしているつもりなのだろうか。
「明日になっちゃうよ・・・」
泣くのを耐えて耐えて呟く。
明日になったら別の日なのだ。
誕生日でもなんでもない。ただの日。
今日言って欲しい。
おめでとうも笑顔も、今日欲しい。
なのにロウソクに火をつける前に総士が蹲った。
「総士と食べたくて、昼間の誕生会でほとんど食べなかったんだ・・・・・・総士に祝ってもらう方が嬉しくて
皆と一緒にいる間中、今の時間のことばっかり考えてたんだ・・・・・・」
我儘なのはわかっている。
全部、自分が勝手にしたことだし、総士のフラッシュバックが総士のせいでは無いことも。
「こんなことになるなら、もっと楽しんでくればよかった・・・・・・・」
総士のこめかみから流れた汗が、顎を伝い一騎の右手首に落ちる。
総士の握力が増した気がする。
またもう一滴、床に落ちて散る。
「・・・・・・苦しい?」
唾液を飲み込む力も無くなった総士に、顔を寄せる。
額と額をつけた。
熱は無かった。
明日までもう間もない。
総士がそれまでに回復するとは思えなかった。
小さく、笑う。
今年は無しだ。去年までと一緒だ。
次まで誕生日を祝えるほどまともな体でいられるとは思えないけど、仕方が無いんだ。
しょうがなかったんだ。
「もういいよ総士・・・・・・俺が諦める。・・・寝よう」
カプセルが溶けて姿を見せた白い粉を指先でつまんで拾う。
薄く開いた総士の口の中に、無理矢理突き入れて舌に乗せた。
濡れた指に、粉はたっぷり着くようになって、何種類もつまんでは、総士の口に入れた。
漏れないように、空いている左手で総士の顎を押さえて口を閉じさせる。
飲んだのを見てから、新しい粉をつけた指を、再び総士にしゃぶらせる。
熱を帯びた口の中に、ゆっくり突き入れて薬だけ舌に擦り付けて引き出す。
「苦くないか?」
からかう様に言ったけれど、総士には聞こえていないようだった。
何色の薬をどれだけの量飲ませればいいのかわからなくて、目に止まった新しいものをつまんでは入れ、つまんでは
入れを繰り返す。溶けていないものが飲まなければならないものだといけないから、きちんとしたカプセルも、
潰して破っては総士の舌にのせた。
そのうち、総士の体から力が抜け始める。
もうそろそろ気をつけようと思った矢先、仰け反るように総士が後ろに倒れた。
一瞬の脱力で、咄嗟に反応して支えなければそのままの勢いで頭を打っていただろうと思う。
大汗をかきながら、床に転がった総士をベッドの上に持ち上げた。
頭と上半身を乗せて、腰を乗せて、最後に足。
盛大に溢した水で濡れた総士の上着とベストを脱がす。
汗の吸いすぎで肌の透けたシャツも脱がす。
ズボンも楽にして、靴と靴下も脱がす。
それから厚い蒲団を掛けた。
勝手知ったる総士の部屋で、空調を入れる。
涼しい風をもろに浴びる黒髪が揺れた。
重労働を終えた後で、ほっとして総士の脇に・・・床に腰掛ける。
ベッドに寄りかかって、時計を見た。
残りは、7分ほど。
「誕生日おめでとう・・・」
てっぺんの苺を一つ、口に含んで自分に言った。
風があまりに気持ちよくて、そのまま寝る。
急に揺り動かされて目が覚めた。
熟睡していたのに、突然の妨害。
頭痛に顔をしかめながら目をこじ開けてみれば、目の前に空気の読めない笑顔。
「なに?」
誕生日は二時間ほど前に終ったばかり。なのに笑顔が言った。
「誕生日、おめでとう」
誕生日は終ってしまった筈だけれど、同じ夜だと思いたかった。
乾いたスポンジとケーキを指でつまんで口に入れる。
エースパイロットとしての昼間の誕生会は豪華極まりなくて、でもここでは精一杯でこれだった。
「僕にも・・・・・・」
半分体を起こした総士にも、一欠けら摘んで口に入れてやる。
「次は・・・」
たったこれだけで泣ける自分が悔しくて、思わず口走った。
「もっとちゃんとした誕生日、しよう」
こんな、自分みたいな惨めな思いを総士にはさせたくない。
そう思っていたのだけれど、どうやら総士は別の意味に受け取ったようだ。
「次はケーキに、一騎の名前を書いたチョコレートでも乗せてもらうか・・・あと、ケーキ以外にも
食べ物を・・・・・・」
まるでわかっていない総士が愛しくて、たまらず抱きしめた。
END
今日は昨日の続きで明後日は一昨日の続き。一年後は幸せだった日の続き。