カルネアデスの板


 彼が板切れにしがみ付いていて、自分は必死にたち泳いでいた。

身の底は何処までも深くて、青くて、もがいていなければ息が吸えなかった。

力を抜いたら沈んでしまうと思った。

けれど自分はもう疲れてしまっていて。

次のひと掻きすら出来そうになくて

それでも、沈みたくなくて。

ほんの少しだけ、その板に掴まらせてもらいたかった。

そうしたら、またしばらく泳げるから。

「総士・・・・・・・」

 彼が手にしている板に、自分も手をかけた。

板切れが一気に、海の中に沈んだ。

浮力を多少は感じられてもこの板は、二人を押し上げるだけの力は持ってはいない。

でもほんの少しだけ、板を譲って欲しかった。

息を落ち着ける間だけ。





総士がいつまでも放さないのが悪いのだ。

こちらが求めているのは一瞬なのに、総士はいつまでも動かないで・・・・・・・





聞こえていないのかもしれない。





だから、ちゃんと伝わるよう、少し強く押した。





 酷く深いため息を聞いた気がした。

総士は、あんなに握り締めていた板を簡単に手放して、海に潜った。

浮かび上がった板切れに、懸命にしがみつく。

 むせて咳き込んで、深く深く息を吸った。

乾きと辛さで喉が焼かれるようであったけれど、吸い込んだ空気は舌に甘くて喉を癒した。



もう十分。



 総士に板を戻そうとした。



振り返っても誰もいない。



海の上に、誰もいない。



わかっていたら、総士を押したりなんかしなかった・・・・・・。







もういちどやり直したいと思った。







 総士は板切れに掴まっていた。

一騎の体は疲れ果てていた。

今度は”さよなら”を言おうと口を開いたとき

振り返った総士が小さく笑って手を放した。

手を放して、海に消えた。

・・・・・・板を一枚海面に残したまま。









夢なのに、本当だった。









END

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