「1」
とある訓練の後、男子更衣室の中。
一騎の真隣で歓声が上がった。
「うぉぉすごい!ムッキョムキョだぁ!!」
ぎょっとして振り向けば小楯衛が全身を鏡に映してあれやこれやとポーズをとって遊んでいる。
と思えばそこに剣司も加わり、お兄さんも負けないぞと言わんばかりに。
「道生さんまで……」
大変申し訳ないものを見てしまった気持ちで視線をそらし、一騎自身はといえば、さっさと着古したオレンジのTシャツを
着込む。
その途端、訴えかけるような罵声がとんだ。
「あーっ!なに先に着てんだよ一騎ぃ!今から四人で戦隊ポーズ考えるのにぃ!」
総士の頭痛の種が解った気がした。
「四人じゃ戦隊モノにはならないだろ」
備えつきの櫛で軽く髪をとかす。
ボサボサの頭のままアルヴィスを歩くと総士が嫌がった。
「だから真ん中には総士が立って、バンザイでもしててさ!!」
限りなくテンションの上がった衛が自分専用のポーズをとりながら目を輝かす。
「それで僕たち五人!ファフナー戦隊マッチョマン!!」
「総士にぶっ飛ばされるぞ?」
すかさず突っ込んだ後、他に髪が跳ねている場所はないか、一通り確かめる。
訓練直後のシャワーを終えたばかりのせいか、髪は異常に大人しかった。
このままエアコンのガッツリ効いた総士の部屋に行っても大丈夫なくらいに。
「大体、肉だらけになったってしょうがないだろ?」
忘れ物がないかロッカーの中を再度確認する。
湿ったタオルなんか忘れていた日にはカビの巣になる。
「違うぞ一騎!俺たちはお前と違って己の肉体の進化具合に感動しているんだ!見よこの鋼の筋肉!!」
「わかったわかった」
目の前にとび出してきてまでネタに尽きることなく様々なポーズを取る剣司と衛を軽くいなす。
なのに更衣室をいざ出ようとするとき、道生の声に振り返ってしまった。
「何か総士に似てきたなー、一騎」
思わぬ言葉。
予想もしていなくて、一瞬で頬がほてった。
手にしていたタオルが濡れた床に落ちる。
奥で頭を拭く道生を凝視する。
「何だ?シャワーでのぼせたのか?」
タオルの合間から目が合った途端、そのようなことを言われた。
声が出ない。
なにも返せない。
ただ次の瞬間満面に浮かぶ笑み。
「ありがとうございます」
頭を勢いよくさげる。
慌てて落ちたタオルを拾う。
飛び出るようにして更衣室を出た。
嬉しかった。
パイロットが多少筋肉質になったところで、それには全く意味が無いのだ。
せいぜい、「ファフナーに乗ったとしたら今まで以上に良く動けるようになるか……な?」といった程度だ。
全て、パイロットの気分次第で、それ以上は無い。
大体、ファフナーと一体化できていれば何だって構わないのだ。
全身贅肉で溶けていようが、貧弱だろうが、ファフナーとの一体化さえ抑えていればファフナーは動くし、パイロット
は戦闘員数に組み込まれる。
けれど総士に似ているのは別だ。
それは、嬉しいことだった。
本当に。
それは総士に近くなったということだ。
それは、総士に並んでも良いということだ。
いつの間にか駆け足になりながら、総士の部屋にまでたどり着く。
息を弾ませながら中にいる総士をインターホンを鳴らして呼び出した。
『誰ですか?』
好きな声。
大好きな声。
「あの、俺だけど……」
だから開けてくれ……とは続けなかった。
続けなくとも、いつの間にかロックは解除されるようになっていた。
体の変化よりも嬉しい進歩。
総士の部屋。
扉が開く。
シャワーの後の体には心地よい程の冷気の中に足を踏み入れる。
一瞬だけ眉をひそめた。
「体に悪いって言ってるだろ?総士」
入ってくる一騎に振り返りもしないで作業に没頭する総士をすかさず叱る。
制服の上着、スカーフまでしっかり着込んでこの温度は無い。
『寒いほうが作業がはかどる』
『やっぱり寒いんじゃないか!!』
そんなやりとりもいつの間にかしなくなって、ただ黙って総士の机の上からリモコンを奪い、温度を上げる。
エアコンの音が弱まる。
それを見計らって、大きな溜息を一回、総士の真後ろでわざと出してから、ソファーに腰かける。
いつもの位置についてから、一騎達の訓練結果を黙々とまとめている総士の横顔を見守る。
気持ちの良いくらい真剣な顔つきだった。
大人たちの好む顔。
一騎達の命に、真剣に向かい合ってくれている顔。
じっと総士を見守り続けた。
大事な顔。
大好きな顔。
いつか同じ顔になれればいいと願いながら。
「結果、どうだった?」
何かある度に総士の部屋にもぐりこんでいれば、大体の作業の終わりの時間も自然と掴めてくる。
もうそろそろ……という頃合いに声を掛けた。
「今日は剣司が特に良い動きをした。これがこのまま続けば今までより剣司との接続を弱めても大丈夫かもしれない。もっと
咲良やお前のフォローに入れる」
一気に顔が熱くなる。
「俺は別に……」
すかさず返事。
しかも、謀ったかのような。
「お前は特別だ、一騎。お前を生かせられれば生かせられるほど僕達が有利になる。本来はお前さえいればいいぐらいだが、
それは先日結論を出したように不可能だ。物理的にも、『何でも出来る』という意識が他でもない僕自身の油断にも繋がりやすく、
危険要因にもなりうる。もっとも、お前に今以上の無謀な行動を許すつもりは毛頭ない。僕の接続はむしろお前の冷静さを促す
ものになるだろう」
いつもよりよく話す総士。
今回の訓練は、相当良い結果だったらしい。
一騎が総士を抱きしめたくなるようなことばかり言ってくれる。
「それ、今書いてる報告書にも書いたのか?」
うきうきしながら訊ねる。
即答。
「いや、これは僕自身が自覚しているだけで十分だ」
また、一騎が有頂天になるようなこと。
きっと無自覚だ。
総士は一騎を一度も見てこない。
でも総士の脳の中は、報告書を作る総士と、一騎に向かって話している総士、今後の戦術を考える総士とに分かれている。
人格の崩壊にぎりぎり近いこの能力が、総士のサヴァン症候群だった。
だから、総士がこちらを見ていないからといって総士が一騎を完全に無視しているということではないし、それはありえない。
パソコンに向かっている総士がいるのと同様、一騎の方に完全に向いて、一騎だけを感じて話している総士も確かにいるのだ。
それが最近わかってきた。
最初のうちは寂しかったのだけれど、それはとんでもない思い違いだった。
いくら総士が頭の中で分かれていたとしても、体は一度には動かせない。
二つのことを同時に言えはしないし、別々のものを見ることも不可能だ。
頭の中がどんなに精密機械のようでも、総士が右を向いているときに左は向けない。
それだけの話だった。
今はもっぱら〆切の迫っている報告書の作成に目も手も体の向きも優先させている。
それだけのことだった。
『なぁ総士……昔からこういうことできたのか?』
それは愚かな問いだった。
自分が島で一番の力持ちで、体力もちだったように、総士もそうだったに決まっている。
ただ一騎と違って、目立たない能力だっただけだ。
日常生活の中で、一人に話しかけながらもう一人の同時に別の話をするようなことはありえない。
今だって、ファフナーに誰も乗らなければ戦いさえなければ不要な能力だ。
もっとも誰もがファフナーに乗り出したところで、不気味といえば不気味な総士の力は、一騎と二人きりの時ぐらいにしか
出さない。
一騎だって、最近気がついたばかりだ。
総士が大きな溜息をつく。
作業が終った時の総士の癖。
これを合図に、総士の中の総士は確実に一人減る。
それどころかメインの意識が一騎の方に向いてくれる。
一日のうちで、一番幸せな瞬間だった。
「剣司達が体が鍛えられて嬉しいって言ってた。
総士が知らなくて、一騎しか知り得ないことを伝える。
それが一騎の役目の一つ……だと思う。
何も知らない総士は目を見張って驚いて……すぐに笑顔になる。
『知っているぞ』という顔つきになる。
正真正銘一騎と向かい合った総士が、悪戯っぽく笑って立ち上がった。
奥の自販で一騎に渡す飲み物を出すためだ。
最初は緊張してそれどころではなかったけれど、今は、総士が自販に一枚もお金を投入していないのを知っている。
カード一枚かざせば好きなだけ。
一騎はジュースで総士は無糖の缶コーヒー。
今となっては販売機の中では五列ほど缶コーヒーが並んでいる。
島の管理スタッフたちのオマケ……だろう。
『一騎が来る時しか使わない。それに、このコーヒーしか飲まない』
あまり自販ものばかりでは体を壊すと告げたとき、そう返された。
じゃあ普段は何を飲んでいるのかと訊ねたら、水だと教えられた。
尚悪いと叱った後、一日三食五日間に渡って弁当を持っていったこともあった。
そんな嫌がらせをして以来ちゃんと食べてくれているのか、総士の顔色は至って良い。
よく冷えたジュースが総士の手から渡される。
「おつかれさま」
一番言うべき言葉を選んだら、心底嬉しそうに総士が笑った。
「2」へ続く。