プトレマイオス内の食堂に新メニューが追加された。
ありそうで無かった、『ホットミルク』。
【ティエリア編】
というわけでティエリア・アーデがその日『ホットミルク』の食券を買った。
たまたま同席した刹那に「お前も飲むのか」と酷く驚かれ、さらにたまたま同席していたロックオンにも笑顔と共に手を振られ、
意味不明の親しくされ様に若干イラだちながらティエリアは席に着き、口元に熱いカップを運ぶ。
……その手を止め。
「『お前も』とは?」
「別に」
ふいに浮かんだ疑問だった。
問い詰めようにも刹那は視線をそらしてしまう。今までティエリア自身もこの手の問いを何度となく無視してきた手前、それ以上聞き様が無かった。
小さな溜息。
余計なことを口にするな。気になる……と、黙秘を決め込んだ刹那に彼ならば汲み取るだろう小さなサインを送る。
それで終ったと思った。
それでも視線を感じた。
顔を上げる。
目の前にこちらを凝視してくる刹那。
「何が言いたい」
さっさと言え。と、先ほどから一口も口をつけられていないミルクのカップを片手に問い詰める。
刹那は表情を固くして一言。
「とても熱い。気をつけろ」
とだけ。
「そんなことか」
カップを手にしたまま目を閉じる。一応ドキドキしていた胸を落ち着ける。
動揺が失せたと感じた一秒後、再び刹那を見つめた。
恐らく、刹那は自分より以前にこのホットミルクを食事のメニューとして選択した。
刹那のことだ、ろくに考えもせずに口に含んだに違いない。
その結果、口の中を火傷でもしたのだろう。
(馬鹿な奴だ)
それでも、見下そうとは思わなかった。
多少、その時の刹那の様子が目に浮かぶだけで。
静かに考える。
今回の刹那の行動は、ティエリアを心配してくれているのだ。
痛みから遠ざけようとしてくれているのだ。
この自分を。
感謝こそすれ、侮蔑の対象にはならない。
「僕はそんなヘマはしない」
が、これらが全て憶測である以上、礼を言うまではやまった真似はできず、精一杯の意思表示をした。
つまり、『心配しなくていい』。
お前のような愚かな真似をティエリア・アーデはしない。
刹那が言わんとしていることは正確に受け取ったと、顔からカップを少しだけ遠退ける。
冷めるまで待つ、そういう仕草。
刹那と目が合う。
何か一言添えようかと思案した矢先、刹那の顔色は青ざめ、目が見開かれた。
適切な態度ではなかったのだろうか。自分の行動を振り返ったとき。
「いや溢す。それがお前のクオリティだティエリア」
口早に刹那が言った。
「何?」
それだけではなく慌て始める。
「さっさとカップをテーブルに戻せ。食事の最後にミルクを飲むんだ。お前は動揺すると一手遅れがちになる。
何か一つか二つ、意識が及ばなくなる。今回の場合、それはお前の手元だ。カップの熱い中身がお前にかかって大惨事になる」
礼を言う?
愚かなことを。
隣でロックオンまでが顔を手で覆い震えている。普段白い耳が真っ赤だ。笑われている。
ロックオンに。
こちらまで真っ赤になる。
ロックオンに馬鹿にされてしまったら、どうしていいかわからない。
刹那にロックオンの前で今の言葉を訂正させなければ。
刹那の本気の目としっかり目が合う。
怒りと勢いの余り、背筋が跳ねた。
「刹那っ!!」
同時に手元の力が抜けた。
転がるカップ。
中身を一口も飲んでいない。
「ティエリア!!」
隣のテーブルに腰かけていたロックオンの方が先に反応した。
それに気付いたティエリアがカップの中身を避けられる筈……というか、もとよりそんな時間の余裕は無くて。
「ッ!!」
思い切りミルクで腹部から太股までを濡らす。
ようやく立ち上がるも、そrはミルクの滲みる範囲を悪戯に広げ、熱さと痛みを感じる面積を増やしただけ。
そしてカップが床に落下。
小気味よい音をたてて砕け散る。
「今タオルを……」
何が起こったかの把握に手間取っている間にロックオンがタオルを片手に素早く立ち上がる。
刹那に警告された通りの失敗をしてしまい、しばし呆然とするティエリア。
そのうち熱さも和らいできて。
「……構わない。このまま部屋に戻る
これ以上人目につくわけにはいかなかった。
そのまま立ち去ろうとすると、正面に座る刹那が慌てた。
「ティ、ティエリア!!」
テーブルに備え付けてあった、何時洗ったのかわからないような布巾を手に近寄ってくる。
何故だか耳を赤く染めて。
(笑っているのか?)
腹が立つ。
何を言うかと思えば。
「俺も今ロックオンを理解した、その格好で外に出るなティエリア!」
「は?」
刹那の言う意図がわからず首をかしげる。
その間にロックオンがティエリアの前に膝をつき、濡れた部分を拭こうとして刹那に止められた。
「待てロックオン!お前は駄目だ!!」
意味が解らない。
何もしないでいるうちに目の前のロックオンが刹那に強引に避けられ、代わって刹那がティエリアの前にしゃがみ込む。
「駄目……とは?」
押し退けられたロックオンを見ながら刹那に問いかける。
「理屈じゃない!!」
強引な返事が返る。
それでは意味が解らず、自分よりは刹那に手馴れているロックオンを見た。
ロックオンは先程の自分のように呆然と刹那を見つめており……それから我にかえってそのまま大人しくなってしまった。
説明がない。
刹那の不可思議な行動への。
ロックオンに答えを求める。が無視される。
「俺のが適任だろう?」
困ったように頬を掻きながらロックオンは言った。
そんなロックオンにムキになった刹那・F・セイエイからの返事。
「お前はティエリアを汚す!」
「は?」
腹から腿からその間やらに懸命に布巾を押し当てる刹那に聞きたい事が山ほどある。
けれど当の刹那本人は作業に没頭して顔すら上げない。
「どういう意味だロックオン」
ロックオンの方を見る。
目を合わせたいのにそらされる。
「大体、手袋をしたままティエリアのミルクを拭えるのか?!!」
憤りきった刹那の声。
だからどういう意味だと問おうとした時。
視界の端に顔を両手で覆って呻くロックオンの姿が見えた。
END