心拍がどんどん速くなっていくことに、意識がついていかなかった。
気付けば物凄く速くなっていて、頭も痛くなっていて、恐くて
(苦しい)
と、思った。
崖の上のリジェネ・レジェッタを見上げながら。
島からの生体反応をアレルヤと勝手に決めつけ、見つけたことで心から安心してしまってセラヴィーから降りた愚かな自分。
どうして、こんなふうになってしまったのだろう。
どうして、こんなふうにコワイのだろう。
どうして、こんな怖い場所にいて、自分は一人きりなのだろう。
四年前の武力介入を始める少し前ぐらいから、一人では無かった。
四年前の戦いの時も、その後の四年間も、一人では無かった。
ついこの間、刹那もアレルヤも帰って来た。
なのに何故、今の自分は一人なのだろう。
脳を介しての会話。
欲しい声のどれ一つとして近くに無いのに、聞きたくない声ばかりが同類として頭の中に響く。
それは、洗脳されそうな程の近く。
(ああ、そうか)
意識の片隅で思う。
(だから怖いのか)
自分が、この声のせいで消えてしまいそうで。
近すぎて、声が己の思考のように思えてしまう。
― 誰か。
(誰か。誰か。誰か)
戦わなければならない。
自分が消されてしまわないように。
だから、相手に銃口を向けなければならない。
相手と自分は同じものではなく、決して交わらないものだ。
その証明として銃を向ける。
今。明らかに別の個体と向き合っているということを示すために。
ただ、それだけではどうしようもなく心細くて、こわかった。
このままでは本当に、焦点が合わなくなって、消える。
もし誰かがここにいて、自分と同じ様にこの相手に銃を向けてくれたのならきっと救われる。
(誰か。誰か。誰か。誰か)
思い当たる存在なんて、数えるほどしかいない。
数えるまでも無い。
欲を言うなら、刹那かアレルヤ。その二択だ。
寄り添うように立つ、彼等のどちらか一人でも欲しかった。
触れそうなほど近くにいて欲しい。
その息遣いが伝わるほど近くに。
誰もいないとわかっていた。
だからこそ今、一人ででも戦わなければ。
この相手と。
なのに、引き金すら引けない意志の弱さ。
最後の抵抗だった。
銃を向けることは、意志の象徴だった。
そして、思う。
どうして目の前の存在を殺そうとしているのか。
怖いから、不安だから、敵だから。
やがて、解決する。
彼は、この敵は、こう言ったのだ。計画の為に死ぬべき存在が何故まだ生きているのか。
それは。
(許せない)
必死で戦い、生きようとして、しかし壊滅し、散った。
それは計画の為ではなかった。
それでもまたこうして、再び戻った。
それは計画の為ではなかった。
己の意志で戻った。
ただ世界を変えたい、その一心で。
(その心を計画と引き換えるのか?)
銃を握る手に力がこもる。
今なら撃てると確信する。
甘く見るな。
彼等の意志を否定するな。
彼等を、殺す気か。
なら。
ここで防ぐ。
そして。
(守る!)
咄嗟に向けた銃は自己の崩壊を避けるためのたかだか応急処置の一つだった。
それが驚くべきほどしっかりと、悪寒と震えを止めていた。
頭の中に棲み付いた相手の気配に気付く。
嗤っている。
自分が穢されているような感覚。
殺すため、引き金を引こうとした瞬間だった。
相手が話し出す。
相手が死んでしまったら、決して聞けなくなる続きの話。
そのせいでまた揺らいで。
彼と、彼の後ろにある月。
月にはヴェーダがあって。
今日は月がやけに大きくて。
すぐ近くに差し出されているようで。
こんなに不安な中で、アレさえまた手に入れられたら昔のように安心できるような気がして。
全部が戻ってくるような気がして。
……その道もあると指し示された瞬間、銃を落とした。
リジェネは笑って、立ち去って行った。
弱かった。
一人では何も出来ないほど。
たかだか言葉に、殺されてしまった。
生かされたが、負けたことは確かだった。
弱かった。
『自分』が弱すぎた。
動くことすらできなかった。
体の中から咀嚼されて、最後の一口だけ残された。
その欠片だけ逃がすために、必死で一人で銃を向けていた。
本当はもっと逃がすつもりだったのだけれど、『自分』が弱くて結局それだけしか残らなかった。
それっぽっちでは、もう何も出来ない。
逃げ帰るのがやっと。
仲間の場所へ。
ほんの少しでも安心できる場所へ。
具体的に『自分』を守ってくれる場所へ。
逃げ帰った。
ティエリアの背後。ティエリアに触れそうなほどすぐ近くで。
正面にリジェネ。
『誰か』。
誰にも気付かれないまま、誰の視界にも入らないまま。
漆黒の銃口。
静かに、敵を。
ティエリアの敵を。
憎悪の表情を浮かべて。
狙い撃っていた。
END