優しい手
総士の手が誰も触ったことの無い手だと、最近気付いた。
一騎自身の注意不足であるかもしれなかったし、本当は誰かに触っているのかもしれなかったが、少なくとも
一騎が見ているとき、その手は誰にも触れたことは無かった。
『やむを得ず』触れたのは見たことがある。
例えば喧嘩の仲裁に相手の間に入ったときだとか、作業上どうしても他人の手を借りなければならないときだ
とか、そういった時にのみ。
よくクーラーの効いた気持ちの良い総士の部屋で、総士のベッドに腰かけ、パソコンに何か打ち込んでいる
総士に問い掛けた。
「総士……触ろうとは思わないのか?」
「触る?」
突然の質問に首をかしげて振り返る総士に、その問いに至るまでの考えをかくかくしかじかと説明する。
全て聞き終わった後、総士は「ああ」と言って笑った。
「一騎だって触ってないだろう?」
言われて初めて、今日の行動を思い返す。
朝、学校、授業中……。
「たしかに……」
人に触れる気なんて一度も起こらなかった。
「だろう?」
総士が笑う。
理科の実験の時間、かなりの道具を出したり片付けたり……協力してやったときすら、触らなかった気がする。
総士の言い分は確かに正しかった。
朝、学校、授業中、休み時間……いや。
「いや……、俺は、放課後……」
剣司を投げ飛ばした時、他のヤツを転がした時、確かに触った。
そうでなければ、相手が勝手に吹っ飛んでいったことになる。
いくら一騎が強いといっても、そこまで出鱈目じゃない。
そんなことは、起こりえない。
「触る必然性が無い」
総士がわざわざ手の平を見せてくる。
指の長い、綺麗な手だ。
「大体、理由もないのに相手に触ってみろ、気味悪がられるぞ」
手が、戻っていく。
名残惜しくてたまらなかった。
「それ、いいのか?」
なんとなく、自分だったら寂しいような気がして、総士に確認をとった。
こればっかりは、人によって違うから。
総士が本気で、嫌なことかもしれないから。
「仮に触ったとして、そのあとどうする?」
再びパソコンに向かった総士が声だけを投げかけてくる。
「この年になって、手でも繋ぐのか?」
それこそおかしい。
触れるぐらいだったら、声をかけるときに肩に触れたり、……したり、……するときに色々あるだろうに。
手を繋ぐぐらいしか例えが出てこないなんて。
「あれ?」
一騎のあげた微妙な声に、総士が振り返る。
何度も作業を中断させて申し訳ないとは思いつつ、それでも総士の方を見つめたまま固まった。
『……したり』『……するとき』
その他にも三つ四つ例えを並べようとして、思いつけなかった。
「どういうときに触るんだっけ?」
総士に訊ねる。
本気でわかっていない総士が首を捻る。
「しばらく触ってないからな……わからない」
総士の言う「しばらく」は簡単には想像できないほどだ。
一ヶ月や二ヶ月とかいう規模ではなくて、一年や二年。あるいは三年かもしれない。
「お前……異常だな」
思ったことをそのまま口に出した。
「お前だってわかってないじゃないか」
笑って返される。
この程度、総士に刺さるどころか撫でられもしない。
「体の具合の悪いヤツ、保健室に運ぶ時とか触らないか?」
「ああいうのは自分で歩いた方が楽だろう?少なくとも学校までは来てるんだ。しかも、少しばかりの休息があったとして
そのあと自宅に帰るのは自分の足だ。肩を貸す必要は無い」
「鉛筆……貸すときとか」
発言した瞬間、目の前にボールペンが突き出される。受け取ろうとしてボールペンの端を握った。
総士の手と一騎の手の間には5センチ以上の間がある。
「渡す弾みにこっちの手を握ってきたらそいつが異常者だ」
「消しゴム」
ぽいっと渡される。
「本」
15センチ以上の間。
「握手」
「される状況がわからない」
「……頑張ったあととか」
「頑張ったら握手?」
「意味がわからないな」
自分の発言に自分で突っ込む。
「とにかく、消しゴムの貸し借りだけで総士の手を握ってくるようなヤツがいたら、俺が許さない」
意味不明になってきた。
総士とにらみ合う。
「総士、俺には触るよな?」
「ああ」
「なんで?」
真剣な顔の総士。
「触りやすいからだ」
一瞬、何も返せなくなる。
そんなもんだろうかと、総士の顔をぼぉっと見る。
次の瞬間笑いを噛み殺した。
総士に向かって両手を広げる。
「抱っこ」
総士の表情が硬直する。
代弁するなら「意味がわからない」。
硬直した総士を無理矢理ひっぱる。
椅子から落ちかける総士。
すかさずキャッチ。
たまらない気持ちで総士を抱きしめ、感想を言った。
「こういうの、いいなぁ」
すかさず変態扱いされたのは、言うまでも無い。
END