釣り糸を垂らして、いつも待っていた。自惚れの一つかもしれなかったが、自分がこうして海辺に座っていれば必ず彼が来たような気がした。
皆城総士。今日は向こうから近づいてきた。
甲洋は小さく笑って釣り糸を引き上げる。
「釣れたか?」
「まだ・・・かな、今日は」
腰掛けていた船着き場に、浜から登ろうとする総士に手を貸してやる。そんな必要は全くなかったのだけれど、
一番最初に総士がここに来たときにバランスを崩してコンクリートに頬を擦ってしまってから、何となく習慣付いた。
「総士だけだよ、海に飽きていないのは」
甲洋は、ショコラをどかして総士に場所を空けてやりながら呟く。
「甲洋ぐらいだろう?海野球に参加しないのは」
言われて首をすくめて笑う。
「落ちるポイントはスイングや球の角度を見ていればわかるけど、追いつけないからね」
最初の二言三言で互いの調子を確かめ合って、あとは好き勝手にしている。総士は海の向こうを眺め始めるし、甲洋はもう一度釣り糸をたらす。
本当にそれ以上は何もないのだけれども、同じ場所にしょっちゅう二人っきりでいれば、当然人の目にも止まる。話題にもなる。
普段はそこで打ち切るはずの会話を、珍しく甲洋は続けた。
「毎日何話してるんだって聞かれたよ」
「・・・なんて応えたんだ?」
「話してないだろ?そんなに」
魚が食いついたような気がして竿を上げてみるけれど、潮の流れに飲まれただけだった。
「そうだな」
甲洋が釣り竿を戻すと、総士も甲洋の方を向くのをやめる。
「でも、なんで一緒にいるのかって聞かれたときには、君たちが友達に手を振るのと同じ理由だよって応えておいた」
不思議そう表情を浮かべる 総士を視界の端に、甲洋は笑みを浮かべて頷いた。
「好きな相手が遠くを歩いていると、つい嬉しくなって声をかけちゃうんだけど、特に話すことなんて用意していないから、あわてて手を振って終わりにするんだ」
「よくわかるな甲洋は」
「・・・俺がそうだから。こんなところに人が来るとは思わなかった・・・そのつもり出来たのに、
総士見つけたら嬉しくなってさ、声かけたは良いけど話すこともなくて、でも場所を移すのも嫌で、仕方なく座ってる。」
その一言でぎょっとなった総士が急いで立ち上がった。
「!すまない。僕が退こう」
離れていく白いコートのフードを、甲洋はあわてて掴んで引いた。
「違うっ言ったろ?嬉しくなったって」
振り返った総士と目があって、安心させるためにほほえんだ数秒間、甲洋は記憶する。
総士が再びつり場に腰掛けるまでにかかった時間も。
「何かしてなきゃ、間が持たなくなるような仲じゃないだろ?」
釣り針の沈んだ先を見ながら、甲洋は言った。
「特に話して無くても不安にはならないし、相手が好きなら一緒にいるのは問題じゃないし」
まだ落ち着ききっていない総士の気配に、なだめるようにそちらを向く。
「変な部分だけ受け取るなよ、そんなんじゃますます女みたいだって言われるよ」
「・・・僕は男だ」
「男から見ればね」
総士の分まで笑ってから続ける。
「一緒にいて何か得なきゃいけないって思いこんでることこそそもそもの間違いなんだ。だから焦って何か話して、
空回りして気まずくなったりする。何かがあったわけでもないのに、一緒に居ちゃいけないんじゃないかって落ち込む」
「でも実際、何かをしたいから会いに行くわけだろう?」
「・・・まあそうだろうね。でも大元を見れば、共有したいってことなんだろうな」
「共有?」
「一人じゃいたくないってことさ。でも一緒に居てくれるのは誰でも良いって訳じゃない。
多分、ここに来たのが総士じゃなくて他のクラスメイトだったら、俺は声かけなかったと思うよ」
甲洋の右隣で総士は微笑む。視界が狭い分見られては居ないとでも思っているのかもしれなかったが、しっかり見えていた。
言えばむくれるのはわかっていたから甲洋は黙っている。
「ありがとう」
総士から自然にわいた言葉を甲洋は流す。
そのまま、また釣りに専念した。家にいるのが嫌で浜まで来て、皆と遊ぶのを親に見とがめられてなにか言われるのが嫌で一人で居たけれど、
嫌なことから逃れた結果、一人で居るのが嫌で。
“ありがとう”はこちらの気持ち。
でももう一つ、お節介を焼くならば、彼と一緒に居た方が総士は幸せだろうにと思う。
ここは十分寂しい場所だから、きっと一騎も気に入るはずなのに・・・と。
犬の名前がプクからショコラに変わって十数日、総士が東京に行くのは数週間後。
END
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